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2005年6月 4日 (土)

そうとばかりはいえません

[反戦老年委員会復刻版]

*朝鮮からの従軍慰安婦はすべて強制連行だった

*『日本書紀』のほとんどが編者の創作である

*押しつけ憲法、東京裁判を国民は歓迎しなかった

*昭和天皇に戦争責任はなかった

*南京虐殺事件など日本軍は残虐非道だった

*大東亜戦争によりアジアから植民地がなくなった

*台湾・朝鮮の併合は日本の植民地政策による

*「第三国人」とは、朝鮮人に対する蔑称だった

*国連は公正でいつも正しい結論をだす

 まだまだあります。「歴史」に断定と感情移入は禁物です。気になるのは、国籍を問わず若い人の短絡発想です。いわんや「歴史」をつくる立場にいる人においておや。

2005年6月5日

さすが風見鶏、万歳

 今日の朝日・毎日、昨日の読売、そして3日の産経と相次いで靖国問題を社説でとりあげた。産経は相変わらず「中国の策動にのるな」式の対抗論の域をこえていないが、三大全国紙は、そろって「総理の靖国参拝はやめるべきだ」と主張しはじめた。

 これは3日、中曽根元総理が「信念を貫くことも立派だが、国家全体の利益にどういう作用をおよぼしているかをかんがえるのも大事な点だ」、と発言したことも影響していると思う。

 中曽根氏は、かつて「風見鶏」といわれた。これは、世間の風をうかがいながら変節するという、あまりほめた意味にはとられていなかった。しかし今回は違う。小泉総理に「やめる勇気」をうながしたことは、大先輩として口出しを控えてきた中曽根氏が「勇気をもって」忠告した、と取るべきだ。総理が「風」も見ないで強引に我が意を通せば、もはや独裁者のそしりをまぬがれ得ない。

 しかし、どうしてこんな問題にそれほどの「勇気」が必要なのだろう。これは、朝日社説でも触れているように、中国と仲良くすることが「反日的」「非国民」などという、思考を停止した的はずれな攻撃にさらされるからだろうか。

 毎日がテーマにした「国益」論は、先月17日に書いたほか10回ほど靖国に触れてきた。中曽根氏が感じた「風」には無関係だとしても、最近取りざたされるようになった「東アジア共同体」実現に向けて、日、中、韓が仲良くなるよう、これからもささやかながらブログで主張し続けたいと思う。

2005年6月14日

靖国・慰安婦・教科書・領土

 その他もろもろ、みんな一緒にして「一山いくら」のような議論が多い。相手国もそうだが、これではもつれた糸がとけるわけがない。

 すべてに歴史がからむが、それぞれ異質の要因があって一様な結論がだせるわけがない。これは賛成、これは違う、これはここが問題、という議論にどうしてならないのだろう。

 問題を整理し、重要かつ緊急を要する案件から、個別に議論を進めることにより、解決に向けた方向性が見いだせるというもの。もっとも解決を望まない、という主張ならば、最初から議論に参加する権利を放棄している、ととられても仕方ない。

 いつも同じ結論だが、外交当局にとっては当然のこと、軽率な大臣や政治家には、特にお願いしておきたい。

2005年6月15日

ミサイル防衛

 ミサイル防衛(MDシステム)に関して自衛隊法改正が衆院を通過した。当委員会には、「弾道ミサイル等が我が国に飛来するおそれがあり、その落下による我が国領域における人命又は財産に対する被害」があると瞬時に判断できる装置が、システムに組み込まれていれば、専守防衛だから賛成してもいいという意見もある。

 しかし、そんなものできっこない。仮にアメリカと中国が戦争になったとしよう。日本は平和憲法の存在をたてに、中立を宣言する。中国がアメリカに向けてミサイルをぶっ飛ばす。行き先などはどこにも書いてない。そして我が国上空に飛来するおそれが検知される。

 首相から権限をまかされた幕僚長は、直ちに「迎撃ミサイル発射」を号令する。あとで発射しなかった責任を問われないよう、これは間違いなくそうなる。

 大事な虎の子ミサイルを打ち落とされた中国は、カンカンになって怒り、どんな手を使ってでも日本の迎撃基地をたたきのめせ、ということになる。米中の間にあって、日本全土はぼこぼこにされる。

 集団的自衛権うんぬんなど言っている場合じゃない、という「読売」の社説はまさにその通り。こんな背筋の寒くなるような法律が、スイスイ通ってしまう現状を如何にせん。

2005年6月17日

首相靖国参拝やめても?

 「すでに一件落着したことをむしかえして、内外にいらぬ摩擦を引き起こしている。これでは英霊が安らかに眠れないから、首相は参拝をやめてくれ」、といった趣旨の新聞投書があった。双方にある次元の低い意地っ張り論や、感情論とは違って、歴史の流れを冷静に分析した上での意見なので、傾聴に値する。

 しかし、中国(民衆ではない)には、日本が米国と結託して、台湾独立に手を貸すのではないか、または、太平洋やアジアでの覇権をねらっているのではないか、という不信感があり、これを払拭しないと、いつまたやけぼっくいに火がつかないとも限らない。

 事実、国内に軍国主義復活を公言する分子があるのに、周辺国の疑念をうち消すための、しかとした理念や政策が政府にない。当委員会も、かつて「靖国は国内問題だ」といってきた。首相が参拝をやめても、「一件落着、議論は水に流して」というわけにはいかないのだ。

2005年6月18日

靖国論壇

 『文藝春秋』7月号に、靖国神社等に関する識者81名の意見が掲載された。以下は、賛否の論点整理が可能かどうかという関心で一読し、そこから得られた感想である。したがって内容分析には至っていない。

*各界有識者にアンケート、となっており、大学教授と評論家が圧倒的に多く、その両者で過半数をこえる。また、アンケートを求めた人の実数や回答者選択の基準は不明。

*前文で首相の靖国参拝に世論は賛否拮抗している、としているが、ここでは賛成44、反対29、どちらともいえない8となっている。賛成の中には「別の慰霊施設が必要で、それが出来るまでは靖国参拝」というのが8件ほど含まれる。

*賛成意見のうち最も多いのが、反日は中国人特有の体質に基づくという感情論で、共産主義体制批判も含めると圧倒的多数になる。続いて弱腰、土下座外交、折れると要求をエスカレートしてくる、が多い。東京裁判無効論、戦犯救済の国会決議、中国の政治的不安定、内政干渉を理由とするものは、思ったより少なかった。また、一般化していない事件をあげて戦争を正当化しようとするものもあった。

*反対論は、参拝は侵略戦争の容認につながる、靖国の歴史的な戦死者顕彰システムが問題、A級戦犯合祀は不当、などがほぼ同数で、祭政分離がこれに次ぐ。また、善隣友好と大人の外交を求めるものが多い。しかし、賛成論にくらべ、全体に迫力には欠ける。これは、アンケートが、参拝の賛否とその理由に加え、「反日暴動についてどう考えるか」という第3の設問をしていることに関係がありそうだ。「暴動はよくない、だけど参拝はやめるべきだ」という半端な表現になってしまう。

*ついでながら、中国の表現を用いなかった回答者に、「中共」3、「チャイナ」1、「シナ」3、「支那」2などがあった。また、終戦まで使っていた旧制かなづかいで回答した者も1人あった。

 なお当委員は、小学生当時の若林・土井垣バッテリー以来の阪神ファンだが、なぜか読売・渡辺恒雄氏の意見と波長があってしまったので、引用させてもらう。A級戦犯の七人は、戦死でなく、刑死である。私は、東京裁判の判決が絶対正義だとは思わぬが、太平洋戦争の何百万という内外の犠牲者を出した責任、あの凶暴な陸軍の行動基準を推進した責任(陸軍二等兵だった私は、今でも許せないと思っている)、憲兵、特高警察による暴力的思想統制の立案、責任等については、日本国民自身による歴史検証を経たうえで罪刑の普遍的妥当性を判断すべきだ。

2005年6月19日

宮沢元首相の警告

 今日のテレビ番組で、宮沢元総理は、靖国問題に関連する田原総一朗の質問に対し、最近の右傾化に危険を感じている旨の発言した。

 明日、ソウルにおける日韓首脳会議で、小泉首相は韓国のためではなく、日本の将来のために右傾化に歯止めをかけるのか、それとも勢いづけることになるのか、方向を示さなければならないことになる。いつものように煙にまいたような答えでは、傷口をいっそう深めることになる。

 そろそろ靖国からほかにテーマを振りたいと思っていたのに、なかなか目が離せなない状態が</p>

2005年6月22日

思い入れ史観

 先週、『文藝春秋』に掲載された靖国論議に関して、簡単な分類を試みた。そこでは、意図して論旨への言及を避けたが、議論がいっこうにかみ合っていないことは指摘しておかなければならない。

 それは、限られた字数の問題もあるが、自分のものとしてよくこなれてない史実を、ポンと放り出しただけの「思い入れ史観」や「キャッチフレーズ史観」が多いせいだ。

 例えば、昭和28年の「援護法」改正や、満場一致の国会決議に基づき戦犯刑死者の靖国合祀が決まった、いう意見である。「戦傷病者戦没者遺族等援護法」は読んで字のとおり、遺族に対する法律で、国会決議も名誉回復とか「靖国合祀」などとどこにも書いてない。

 つまり、おおよそ議論の対象にはなり得ない材料であるにもかかわらず、有名大学の名誉教授までが「賛成」の論拠にしているのは、ちょっとお粗末。おそらくご自分では調べなかったのだろう。

 また、日本発のいわゆる「自虐史観」に問題があるとする意見は、当委員会にも首肯できる点がある。それについては、具体的に例示したものがなかったので、機会があれば別に述べたい。

2005年6月24日

朝鮮と古墳

 去年の春、韓国のバス・ツアーに参加した。釜山、慶州、ソウルを回る月並みのコースだが、途中公州の武寧王陵を見ることができた。直径20メートルほどの小円墳だが、比較的良好な状態で発掘されたので、展示施設も現場を再現した立派なものだった。

 日本の大学に留学経験のあるガイド女史は、名君・武寧王の事跡や副葬品の豪華さを日本人観光客にくわしく説明したが、アレッ?と思うことがおきた。

 武寧王は、『日本書記』の雄略紀から継体紀にかけて何度も登場する。特にその名・嶋(しま)王(斯麻王)の由来が、妊娠中の妻が渡日する際、途中の島(佐賀県加唐島という説もある)で出産したため、ということでなじみが深い。

 この日本人観光団にとって興味深い話が全然でてこないのである。パネルにはハングルにまじって(斯麻王)と書いてあるので、ガイド女史に質問したら、「斯は新羅のしでしょう」とトンチンカンな答えが返ってきた。おまけにバスの中で「伝説によりますと斉明天皇は百済の出身です」などと、的はずれな解説まで加わる。

 彼女、あとで「韓国のテキストでやってますので」と申し訳なさそうにいいわけしたが、そもそも『日本書紀』の記事は、朝鮮人の手になる『百済新撰』や『三国史記』を引用したものだし、「しま」という発音も朝鮮語からきているんだそうで、なにも割愛する理由がない。

 史論としては簡単なことなのに、「民族としてどちらが上か」などといった次元の低い対抗意識が災いしているとすると困ったことになる。

 「よその国に言われて、どうこうする問題ではありません」。渥美清「それを言っちゃあ、おしめえよ。

2005年6月25日

朝鮮と古墳②

 日本で古墳といえば、世界的規模を誇る大仙陵(現仁徳天皇陵・大阪堺市)に代表される「前方後円墳」の形が思い浮かぶ。かつて韓国の全羅南道など南西部で、形の似た小型の古墳が続々と発見され、同国の研究者は早速「前方後円墳の源流は韓国にある」と主張し始めた。

 同じ頃(1990年代前半)、北朝鮮からも高句麗時代の積石塚の形状から、同様の形のものが発見されたとして、「その祖型はこちら」という論文が発表されている。

 韓国のものは、日韓両国の研究が進み、その造営時期が、日本ではそろそろ前方後円がすたりはじめる西暦500年前後という結論になった。現在は被葬者の方に関心が移っているようだ。7、8年前になるが、考古学者からこんなことを聞いた(古い話で正確ではないが・・・)。

 韓国で古墳のシンポジュームに参加した。終わって懇親の飲み会があり、若い韓国の学者と会話がはずんだ。その中で彼はこういった。「昼間は言えなかったけど、前方後円墳はもう決まりですね。先生はその点もっとはっきり言った方がいいですよ」と。

 北朝鮮の方は、最近高句麗時代の境界とその帰属に関連して、中国との間で「教科書問題」のようなトラブルがあるらしい。これにも、古墳や遺跡がからんでいる。事実関係にそんな対立する問題が多いとは思えないが、現在の政治では譲れない一線があるのだろう。こういう緊張がなければ、内政・外交を推進できないとは、情けない政治家どもである。

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