« 2005年5月 | トップページ | 2005年7月 »

2005年6月

2005年6月 7日 (火)

「勝ち組」の先祖?

[反戦老年委員会復刻版]

 前に日本の敗戦を信じない「勝ち組」について書いた。敗色が次第に色濃くなってきた昭和18年4月、戦局を国民はどう見ていたか。近衛文麿の秘書として高松宮に国家の中枢の動きを連絡していた、細川護貞氏(細川元総理の父)の日記、『情報天皇に達せず』がよく引用される。

 その中で高村氏(近衛総理秘書官・大阪警察局長)は又、

 今日我国には三つの階級あり。一つは智識階級にして事態の悲観的なるをよく知り居り、東条内閣に反対せるもの<彼等は二人会合する時は悲観論を唱へ、四五人の時はこのまヽにては悪しと云ひ、十人以上なるときは一億玉砕の意気もて時難に進むべしと呼ぶ徒輩にして、本心は悲観論者なり>。及び町会長、警防団長程度の辛うじて新聞を読み得る階級にして、彼等は新聞の知識のみを以て、上流階級が戦争に協力せざることを憤激し、政府が一度号令せば、国民のすべてが蹶起すべきを信じ居る者にて、もつとも張り切つたる者。及び第三に所謂大衆にして、自己の生活のみを考え居る人々なり。彼等は一日も速やかに戦争の終結を望み居る人々なりと。而して一般の低級なる官吏は此の二者に入るべしと。

 この分類に軍人は入っていないが、前線を知らない志願兵や、下士官・幹部候補生などには、悲観論より「勝ち組」が多いだろう。しかし終戦でそれらの状況は一変した。新しい現実をどう受け入れるかである。やはり大多数の人は、死なずにすんだことでほっとしたはずである。

 「鬼畜米英」だと思っていた占領軍も、国民には食料を援助し紳士的・友好的にふるまった。そして、かつての戦争指導者・協力者に冷たい目が向けられるのは、占領軍の宣伝があったにしろ当然の成り行きであった。

 東京裁判を抵抗感なく受け入れたのも、そんな下地があってのことである。いまさら「勝ち組」のような論理を展開して、過去の歴史を変えようとしても無理が生じよう。

2005年6月8日

志賀直哉の何故だ!

 昨日、『情報天皇に達せず』の記事を紹介した。同書は昭和28年(1953)、対日講和条約締結の翌年に発行されている。その巻頭に志賀直哉と武者小路実篤の「序」があり、当時の戦争とその処理に対する「感じ方」が率直に表現されているので、もう一度参考に供したい。

 武者小路は「日本が負けるにきまっている戦争をなぜ始めたか、そしてどう言う風に無理な戦争をつヾけ、そして大きな犠牲を払つて、遂に完全な敗北をしたか」につき、真相解明が続くことに期待を寄せた。

 志賀直哉は、著者・細川の周辺にいる人がほとんど戦争反対で、敗戦を予測していたのに、なにもできなかった、それは当時の「酷しい憲兵政治」のもと、反対を組織する勇気がなかったからだ、と断じている。

 その一方で「前途ある若い人々が蚊か蝿のやうに惜し気もなく殺されて行く時、既に此世である程度仕事をして了つた老人達が自分の生命を惜んで、それを仕なかつたとも思はれない。勇気がないには違ひないが、命惜みをしてゐたのとも少し異ふやうに思はれる。矢張り、さういふ人達は組織を持つことが出来ず、一人々々では何事も出来ないと諦めて了つたのがいけなかつた」と結論づけた。

 そんな大物じゃないが当委員会も、身につまされてしまうよ~。

2005年6月28日

『昭和天皇』論

 昭和天皇像は、もともと平和愛好家だったにもかかわらず、軍部に振り回されて敗戦の憂き目にあい、神の座から引きずりおろされた、という半ば同情的な見かたが戦後多かった。

 このところ、日記その他の資料分析が進み、天皇がより能動的に戦争遂行にかかわっていた、という指摘が多くなってきた。それでなくとも、議会も内閣も総理も直接口出しできない陸海軍の統率者・大元帥に、戦争責任がないとするのは苦しく、天皇の名のもとに生まれた多くの犠牲者への道義的責任も免れない。

 その集大成として、ハーバート・ビックスの『昭和天皇』上・下が参考になると期待して見た。まだ読破していないので、以下は、途中での感想となる。

*評判通り多種多様な史資料が使われているが、著者も言うとおり、宮内庁資料など公開されていないものも多く、全体解明にはなお不十分である。

*それだけに、資料の吟味・評価は慎重になされるべきだが、週刊誌記事まで引用するなど、特定のレールのもとでただ網羅した、というように感じられる。

*天皇自身の心理描写や分析など、資料にもとずかない文章表現は、歴史書としてなじめない。

2005年6月30日

『昭和天皇』論②

 企業史の編集に要する期間は、歴史10年につき1年あればよい、とされている。ビックスは1991年から9年かけて本著に取り組んでおり、膨大で難解な日本語史料と格闘しながらの力作であることに異論はない。

 特に戦後については、アメリカ側の史料を駆使し、天皇制を維持、利用することに日米当局の思惑が一致したため、新憲法や東京裁判で一定の共同工作が進んだことなど、示唆に富むものが多い。

 その一方で、軍部や玉座をとりまく<span style="color: #ff0033;">邪悪な連中(Evil Type)</span>といった、ブッシュかライス発言のようなアメリカ式表現とか、「<span style="color: #ff0033;">古い自己認識に固執</span>」し、自ら退位することをを拒みつづけた、というような状況証拠による断定には、どうしても違和感が残る。

 やはり、日本の歴史は日本人の手でしっかり組み立てなければならないということを、痛感させる本である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年6月 4日 (土)

そうとばかりはいえません

[反戦老年委員会復刻版]

*朝鮮からの従軍慰安婦はすべて強制連行だった

*『日本書紀』のほとんどが編者の創作である

*押しつけ憲法、東京裁判を国民は歓迎しなかった

*昭和天皇に戦争責任はなかった

*南京虐殺事件など日本軍は残虐非道だった

*大東亜戦争によりアジアから植民地がなくなった

*台湾・朝鮮の併合は日本の植民地政策による

*「第三国人」とは、朝鮮人に対する蔑称だった

*国連は公正でいつも正しい結論をだす

 まだまだあります。「歴史」に断定と感情移入は禁物です。気になるのは、国籍を問わず若い人の短絡発想です。いわんや「歴史」をつくる立場にいる人においておや。

2005年6月5日

さすが風見鶏、万歳

 今日の朝日・毎日、昨日の読売、そして3日の産経と相次いで靖国問題を社説でとりあげた。産経は相変わらず「中国の策動にのるな」式の対抗論の域をこえていないが、三大全国紙は、そろって「総理の靖国参拝はやめるべきだ」と主張しはじめた。

 これは3日、中曽根元総理が「信念を貫くことも立派だが、国家全体の利益にどういう作用をおよぼしているかをかんがえるのも大事な点だ」、と発言したことも影響していると思う。

 中曽根氏は、かつて「風見鶏」といわれた。これは、世間の風をうかがいながら変節するという、あまりほめた意味にはとられていなかった。しかし今回は違う。小泉総理に「やめる勇気」をうながしたことは、大先輩として口出しを控えてきた中曽根氏が「勇気をもって」忠告した、と取るべきだ。総理が「風」も見ないで強引に我が意を通せば、もはや独裁者のそしりをまぬがれ得ない。

 しかし、どうしてこんな問題にそれほどの「勇気」が必要なのだろう。これは、朝日社説でも触れているように、中国と仲良くすることが「反日的」「非国民」などという、思考を停止した的はずれな攻撃にさらされるからだろうか。

 毎日がテーマにした「国益」論は、先月17日に書いたほか10回ほど靖国に触れてきた。中曽根氏が感じた「風」には無関係だとしても、最近取りざたされるようになった「東アジア共同体」実現に向けて、日、中、韓が仲良くなるよう、これからもささやかながらブログで主張し続けたいと思う。

2005年6月14日

靖国・慰安婦・教科書・領土

 その他もろもろ、みんな一緒にして「一山いくら」のような議論が多い。相手国もそうだが、これではもつれた糸がとけるわけがない。

 すべてに歴史がからむが、それぞれ異質の要因があって一様な結論がだせるわけがない。これは賛成、これは違う、これはここが問題、という議論にどうしてならないのだろう。

 問題を整理し、重要かつ緊急を要する案件から、個別に議論を進めることにより、解決に向けた方向性が見いだせるというもの。もっとも解決を望まない、という主張ならば、最初から議論に参加する権利を放棄している、ととられても仕方ない。

 いつも同じ結論だが、外交当局にとっては当然のこと、軽率な大臣や政治家には、特にお願いしておきたい。

2005年6月15日

ミサイル防衛

 ミサイル防衛(MDシステム)に関して自衛隊法改正が衆院を通過した。当委員会には、「弾道ミサイル等が我が国に飛来するおそれがあり、その落下による我が国領域における人命又は財産に対する被害」があると瞬時に判断できる装置が、システムに組み込まれていれば、専守防衛だから賛成してもいいという意見もある。

 しかし、そんなものできっこない。仮にアメリカと中国が戦争になったとしよう。日本は平和憲法の存在をたてに、中立を宣言する。中国がアメリカに向けてミサイルをぶっ飛ばす。行き先などはどこにも書いてない。そして我が国上空に飛来するおそれが検知される。

 首相から権限をまかされた幕僚長は、直ちに「迎撃ミサイル発射」を号令する。あとで発射しなかった責任を問われないよう、これは間違いなくそうなる。

 大事な虎の子ミサイルを打ち落とされた中国は、カンカンになって怒り、どんな手を使ってでも日本の迎撃基地をたたきのめせ、ということになる。米中の間にあって、日本全土はぼこぼこにされる。

 集団的自衛権うんぬんなど言っている場合じゃない、という「読売」の社説はまさにその通り。こんな背筋の寒くなるような法律が、スイスイ通ってしまう現状を如何にせん。

2005年6月17日

首相靖国参拝やめても?

 「すでに一件落着したことをむしかえして、内外にいらぬ摩擦を引き起こしている。これでは英霊が安らかに眠れないから、首相は参拝をやめてくれ」、といった趣旨の新聞投書があった。双方にある次元の低い意地っ張り論や、感情論とは違って、歴史の流れを冷静に分析した上での意見なので、傾聴に値する。

 しかし、中国(民衆ではない)には、日本が米国と結託して、台湾独立に手を貸すのではないか、または、太平洋やアジアでの覇権をねらっているのではないか、という不信感があり、これを払拭しないと、いつまたやけぼっくいに火がつかないとも限らない。

 事実、国内に軍国主義復活を公言する分子があるのに、周辺国の疑念をうち消すための、しかとした理念や政策が政府にない。当委員会も、かつて「靖国は国内問題だ」といってきた。首相が参拝をやめても、「一件落着、議論は水に流して」というわけにはいかないのだ。

2005年6月18日

靖国論壇

 『文藝春秋』7月号に、靖国神社等に関する識者81名の意見が掲載された。以下は、賛否の論点整理が可能かどうかという関心で一読し、そこから得られた感想である。したがって内容分析には至っていない。

*各界有識者にアンケート、となっており、大学教授と評論家が圧倒的に多く、その両者で過半数をこえる。また、アンケートを求めた人の実数や回答者選択の基準は不明。

*前文で首相の靖国参拝に世論は賛否拮抗している、としているが、ここでは賛成44、反対29、どちらともいえない8となっている。賛成の中には「別の慰霊施設が必要で、それが出来るまでは靖国参拝」というのが8件ほど含まれる。

*賛成意見のうち最も多いのが、反日は中国人特有の体質に基づくという感情論で、共産主義体制批判も含めると圧倒的多数になる。続いて弱腰、土下座外交、折れると要求をエスカレートしてくる、が多い。東京裁判無効論、戦犯救済の国会決議、中国の政治的不安定、内政干渉を理由とするものは、思ったより少なかった。また、一般化していない事件をあげて戦争を正当化しようとするものもあった。

*反対論は、参拝は侵略戦争の容認につながる、靖国の歴史的な戦死者顕彰システムが問題、A級戦犯合祀は不当、などがほぼ同数で、祭政分離がこれに次ぐ。また、善隣友好と大人の外交を求めるものが多い。しかし、賛成論にくらべ、全体に迫力には欠ける。これは、アンケートが、参拝の賛否とその理由に加え、「反日暴動についてどう考えるか」という第3の設問をしていることに関係がありそうだ。「暴動はよくない、だけど参拝はやめるべきだ」という半端な表現になってしまう。

*ついでながら、中国の表現を用いなかった回答者に、「中共」3、「チャイナ」1、「シナ」3、「支那」2などがあった。また、終戦まで使っていた旧制かなづかいで回答した者も1人あった。

 なお当委員は、小学生当時の若林・土井垣バッテリー以来の阪神ファンだが、なぜか読売・渡辺恒雄氏の意見と波長があってしまったので、引用させてもらう。A級戦犯の七人は、戦死でなく、刑死である。私は、東京裁判の判決が絶対正義だとは思わぬが、太平洋戦争の何百万という内外の犠牲者を出した責任、あの凶暴な陸軍の行動基準を推進した責任(陸軍二等兵だった私は、今でも許せないと思っている)、憲兵、特高警察による暴力的思想統制の立案、責任等については、日本国民自身による歴史検証を経たうえで罪刑の普遍的妥当性を判断すべきだ。

2005年6月19日

宮沢元首相の警告

 今日のテレビ番組で、宮沢元総理は、靖国問題に関連する田原総一朗の質問に対し、最近の右傾化に危険を感じている旨の発言した。

 明日、ソウルにおける日韓首脳会議で、小泉首相は韓国のためではなく、日本の将来のために右傾化に歯止めをかけるのか、それとも勢いづけることになるのか、方向を示さなければならないことになる。いつものように煙にまいたような答えでは、傷口をいっそう深めることになる。

 そろそろ靖国からほかにテーマを振りたいと思っていたのに、なかなか目が離せなない状態が</p>

2005年6月22日

思い入れ史観

 先週、『文藝春秋』に掲載された靖国論議に関して、簡単な分類を試みた。そこでは、意図して論旨への言及を避けたが、議論がいっこうにかみ合っていないことは指摘しておかなければならない。

 それは、限られた字数の問題もあるが、自分のものとしてよくこなれてない史実を、ポンと放り出しただけの「思い入れ史観」や「キャッチフレーズ史観」が多いせいだ。

 例えば、昭和28年の「援護法」改正や、満場一致の国会決議に基づき戦犯刑死者の靖国合祀が決まった、いう意見である。「戦傷病者戦没者遺族等援護法」は読んで字のとおり、遺族に対する法律で、国会決議も名誉回復とか「靖国合祀」などとどこにも書いてない。

 つまり、おおよそ議論の対象にはなり得ない材料であるにもかかわらず、有名大学の名誉教授までが「賛成」の論拠にしているのは、ちょっとお粗末。おそらくご自分では調べなかったのだろう。

 また、日本発のいわゆる「自虐史観」に問題があるとする意見は、当委員会にも首肯できる点がある。それについては、具体的に例示したものがなかったので、機会があれば別に述べたい。

2005年6月24日

朝鮮と古墳

 去年の春、韓国のバス・ツアーに参加した。釜山、慶州、ソウルを回る月並みのコースだが、途中公州の武寧王陵を見ることができた。直径20メートルほどの小円墳だが、比較的良好な状態で発掘されたので、展示施設も現場を再現した立派なものだった。

 日本の大学に留学経験のあるガイド女史は、名君・武寧王の事跡や副葬品の豪華さを日本人観光客にくわしく説明したが、アレッ?と思うことがおきた。

 武寧王は、『日本書記』の雄略紀から継体紀にかけて何度も登場する。特にその名・嶋(しま)王(斯麻王)の由来が、妊娠中の妻が渡日する際、途中の島(佐賀県加唐島という説もある)で出産したため、ということでなじみが深い。

 この日本人観光団にとって興味深い話が全然でてこないのである。パネルにはハングルにまじって(斯麻王)と書いてあるので、ガイド女史に質問したら、「斯は新羅のしでしょう」とトンチンカンな答えが返ってきた。おまけにバスの中で「伝説によりますと斉明天皇は百済の出身です」などと、的はずれな解説まで加わる。

 彼女、あとで「韓国のテキストでやってますので」と申し訳なさそうにいいわけしたが、そもそも『日本書紀』の記事は、朝鮮人の手になる『百済新撰』や『三国史記』を引用したものだし、「しま」という発音も朝鮮語からきているんだそうで、なにも割愛する理由がない。

 史論としては簡単なことなのに、「民族としてどちらが上か」などといった次元の低い対抗意識が災いしているとすると困ったことになる。

 「よその国に言われて、どうこうする問題ではありません」。渥美清「それを言っちゃあ、おしめえよ。

2005年6月25日

朝鮮と古墳②

 日本で古墳といえば、世界的規模を誇る大仙陵(現仁徳天皇陵・大阪堺市)に代表される「前方後円墳」の形が思い浮かぶ。かつて韓国の全羅南道など南西部で、形の似た小型の古墳が続々と発見され、同国の研究者は早速「前方後円墳の源流は韓国にある」と主張し始めた。

 同じ頃(1990年代前半)、北朝鮮からも高句麗時代の積石塚の形状から、同様の形のものが発見されたとして、「その祖型はこちら」という論文が発表されている。

 韓国のものは、日韓両国の研究が進み、その造営時期が、日本ではそろそろ前方後円がすたりはじめる西暦500年前後という結論になった。現在は被葬者の方に関心が移っているようだ。7、8年前になるが、考古学者からこんなことを聞いた(古い話で正確ではないが・・・)。

 韓国で古墳のシンポジュームに参加した。終わって懇親の飲み会があり、若い韓国の学者と会話がはずんだ。その中で彼はこういった。「昼間は言えなかったけど、前方後円墳はもう決まりですね。先生はその点もっとはっきり言った方がいいですよ」と。

 北朝鮮の方は、最近高句麗時代の境界とその帰属に関連して、中国との間で「教科書問題」のようなトラブルがあるらしい。これにも、古墳や遺跡がからんでいる。事実関係にそんな対立する問題が多いとは思えないが、現在の政治では譲れない一線があるのだろう。こういう緊張がなければ、内政・外交を推進できないとは、情けない政治家どもである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年6月 1日 (水)

ヘルマン・ヘッセ

[反戦老年委員会復刻版]

 1931年、満州事変(15年戦争)が起き、上海の排日運動が盛んになる。翌32年、私が生まれた年だが、上海事変で戦火が拡大し、ドイツではヒットラーに国民的な人気が集まる中で、ナチスが第一党となる。

 以下は、同年、ヘルマン・ヘッセがある老婦人の「あの人がやってくれるならもう安心よ。その人の名はヒットラー」ということばを聞いて、危機感をつのらせ、後援者の妻に送った手紙の一部分である。(ヘルマン・ヘッセ研究会編・訳『ヘッセからの手紙』)

  「(前略)これではまるで1914年(注・第一次世界大戦勃発)と同じです。もし私個人の私生活の中で似たようなことが起こっていないのであれば、これを笑ってすませることもできるでしょう。でもとうに解決され克服されたと思われていた状況と問題が繰り返されているのです。確かに人々は少々うんざりして我慢強くなってきてはいますが、やはり多くは学ばなかったのです。どうやら人間には、教訓を学び取るという能力はさほどないようです。人生を文学や思想に捧げてきた人間にとっては、これは惨めな結果です」
 
文学者・石原東京都知事にこれを捧げる。

2005年6月2日

石原慎太郎

 新・旧唐書には、倭人は漢字を覚えてから「倭」が良い意味でないのを嫌うようになり、「日本」と自称した、と書いてある。以来、唐の政権は公文書でも「日本」を使うようになり今に至る。

 石原慎太郎は、中国といわず意識的に「シナ」というようだ。古代日本人は「ワ」という音を嫌った訳ではない。漢字の「和」を使って、大和、和食、和服など今なお「ワ」が生きている。同様に、中国も「シン」から転じたとみられるチャイナ、シナという音をではなく、「支那」と書かれることを嫌っているのだと思う。

 終戦まで日本が使っていた、相手が嫌がる言葉をわざわざ持ち出すことに、どれほどの意味があるというのだろうか。プチ右翼ならいざ知らず、大東京をあずかる資質に欠けているといわざるを得ない。

 都民に訴える。同い年の異端児、「好戦老年」を早くリコールしてほしい。

2005年6月3日

サウジ人と自由

 このかた、サウジアラビアは必ずしもアメリカのいいなりにならなくなった。その頃からアメリカがいう「自由と民主主義のない国」リストにあがることが多くなったようだ。

 これは十数年前、サウジで自由取材ができる回教徒の日本人カメラマン・オマル・○○氏から聞いた話。

①サウジの労働者は、外国からの出稼ぎがほとんど。唯一サウジの男性に人気のある職業は、タクシー運転手。なぜならば、好きな所に移動して自由に仕事ができるから。

②政府がオイル・マネーで、噴水や緑のある立派な公営住宅を作った。砂漠を放浪する遊牧民に無料で提供したが、最初のわずかな期間いただけで、いつの間にかみんなもとの生活に戻った。誇り高きベドウインは、定着して自由を失うことを嫌う。

③議会とか選挙はないが、週一回宮廷が開放され、先着順で誰でも王様に意見や陳情をすることができる。神アッラーのもとでは、すべてが平等だから。

 厳格なコーランの戒律をのぞけば、以外に自由と民主主義なのだなあ・・・、と思った。

2005年6月6日

踊り場が天井に

 設備投資はでこぼこがあるにしても伸びが続いている。失業率もまあまあの線まで回復してきた。企業業績は最高水準を示している。ところが先ゆきさっぱり明るく感じられない。

 「景気は踊り場」の表現がたびたび使われている。景気にダイナミズムがあり、次のステップが見えてこそ「踊り場」といえるのだが、郵政や靖国にかまけているうちに、ここが「天井だった」に化ける可能性が大きいのではないか。

2005年6月11日

TV局の不道徳

 このところ、かつての相撲界の名門花田家と、そのプライバシーを民放のワイドショーが執拗に追いかけまわしている。のぞき見趣味を増長して視聴率稼ぎをするにしても、明らかに度を超えている。

 その中に、元家政婦にとくとくとしゃべらさせる中継があった。昔の女中さんはどんなに教養がなくとも、奉公先の内情は絶対口外しないという矜持があった。

 こんな不道徳を「独占取材」などといって、得意げに報道する局に、果たして公徳心や公共性があるのだろうか。内部告発の流行で善悪の判断基準が麻痺している。不道徳や犯罪を奨励するかのようなとりあげかたは、やめてほしい。

2005年6月13日

新聞休刊日

 スタートした頃は「新聞配達少年に休暇を与えるため」としていた。今は新聞各社、値下げもせずに仲良く一斉に休むのが「あたりまえ」といわんばかり。

 インターネットは年中24時間休みなし。寂しいけど、宅配新聞が消滅する日、いつかはやってくるのだろうなあ。

2005年6月20日

万葉集3578

 武庫の浦の入江の渚鳥羽ぐくもる
        君を離れて恋に死ぬべし

 武庫の浦は、今朝から福知山線通勤電車が走り出したJR尼崎駅の沖合。当時の海岸線はより事故現場に近かかったかも。そこから、新羅(古代朝鮮の国)に船出した使者を送りだした時の別れの歌。

 我が小泉の君はどうしているかなあ。

2005年6月23日

なぜか複眼

 かつて関心を持ち続けていた「邪馬台国論争」だが、ここのところご無沙汰している。奈良県纏向遺跡や「箸墓」周辺の調査により、「邪馬台国は畿内説で決まり」という声が、考古学者を中心に強くなっていた。

 しかし「魏志倭人伝」を見る限り、九州説もなかなか捨てがたい。そこで、拙著『海と周辺国に向き合う日本人の歴史』では畿内説の肩をもちながら、「卑弥呼が二人いてもいい」という仮説を立ててみた。

 本委員会における「靖国問題」についても、似たようなことがいえる。過去の体験上、首相参拝に反対する立場に変わりはないが、賛成派の認識と共通する部分もいくつか存在する。

 いわば「ショウ・ザ・フラッグ」には、弱いのである。もって生まれた性格か年のせいかはわからないが、若い頃、「まちがいに気づいたら、いつでも捨てる勇気がなくて、思想を持つなどと偉そうなことをいうな」ということを聞いてからかも知れない。

 どんなことでも、より真理・真相に近づくためには、片側通行だけで果たせない。当委員会もあらゆる情報に対して、直感、単眼ではなく「複眼」で通すしかなさそうだ。

2005年6月26日

経費節減

 老人にはこたえる本格的な暑さがやってきました。こんな時は、近くの公民館で涼みながら碁を打つのが、ささやかな楽しみです。

 ところがエアコンが故障。窓を開放しても風は入らず、熱戦はとても無理です。ここのところ、経費節減でなにかとサービスが低下しています。その中でエアコンも保守契約をケチったか更新時期をずらしたのでしょう。これから予算手続きをして、競争入札にかけて、工事日程を組んで・・・・。あぁ~・・・・秋までかかりそう。

 これがスーパーやコンビニだったら、すぐにつぶれてしまうでしょう。大組織で予算削減といえば、まずこんなことを思いつくものですが、かえって高いものにつきます。

 かといって、民営化して高い会費をとられるようなら、行きませんが。

2005年6月27日

サイパンとは

 天皇、皇后が戦没者慰霊のためサイパンへ、と報道されるている。その中で、これら南方の島々が第一次大戦の結果、ドイツから日本に統治権が移った委任統治について触れている解説があまりない。

 れっきとした植民地であり、戦争被害も他におとらない悲惨な状況があったにもかかわらず、日本人犠牲者のことだけで、現地住民からあまりとげとげしい話は、でてきていない。

 「私のラバさん(恋人)酋長の娘」といった流行歌や、漂流して島の王様になった「冒険ダン吉」の漫画を思い出す。アメリカに統治が移った現在、彼等は幸せでいるのだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2005年5月 | トップページ | 2005年7月 »