2018年6月22日 (金)

時代と塀

 大阪北部の地震で高さ3.5mのブロック塀が倒壊し、9歳の女子小学生が圧死するという悲惨な事件があった。手抜きの違法構造だという。実はこのブロック塀、戦後に始めて出現・普及したものである。

木材の不足もあってそれまでの主流・板塀に変わり、見てくれの良さ、防火性、手軽な工法、耐久性、コストなどあらゆる面で近代的に見えた。

それまでは、

♪粋な黒塀 見こしの松に 艶な姿の洗い髪……

で、人の身長より高い黒塗りの塀から庭の松の枝だけ見えるのが粋筋の家だった。そのブロック壁も、高いものよりアメリカの建築のように低くして上は金網やアルミ柵にするなど開放感あるものにするのがはやるようになった。

日本建築は、畳の部屋が多く、床まで窓という掃き出しが主流になっている。家の中からはこの方が開放感があり、地震や火事の時も逃げやすい。しかし、外から丸見えでも困る。そこで、ガラス窓の下半分を磨りガラスにするなど、しいろいろな妥協案が工夫された。

高いブロック塀は、これから激減するだろう。一つずつ積み上げるブロック塀より、工機を使った簡便な方法がこれに替わる。そういえば、住宅の方もプレハブで壁構造。掃き出し窓も以前より少なくなったような気がする。

ここでも、時代の変化が刻々と進んでいる。

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2018年6月21日 (木)

「ウソ」の心理学

 このブログでは、「ウソ」という言葉を、去年は稲田・元防衛相などに「おそるおそる」使っていたが、今年にはいって文書ねつ造などをめぐり安倍首相、政府自民党、官僚などに蔓延するウソを指摘している。

 それが、この夏に入り、日大アメフトのことや、加計事務局長など民間にまで当然視する由々しい社会現象のようになってしまった。一流紙の社説にまで「ウソ」と表現される。「ウソツキ」は昔からいるが、こんなに堂々と世にはだかるようになったことは、古今東西あっただろうか。

 心理学者ではないが、なぜこんなにウソが公然とまかり通るようになったか考えてみた。

① 目的が正しければ(お国のためなら・学校のためなら)ウソは許される。
 岩盤規制を突破するため、内閣で決めた事を実現するに必要なウソ(加計問題)
 教育勅語を教える小学校建設は正義(森友学園・首相夫人名誉校長)

   ――戦前・戦中を思わせる(勅語朗読・満鉄爆破、大本営発表など)

 直接法にふれなければ(森友学園、首相・関係あれば辞職発言、文書偽造・隠匿の忖度)

   ――たいしたことではない(軽い)

 人事権・独裁権力など、偉い人によるウソ強要または示唆

   ――保身と栄転最優先、報復警戒(前川文科省前次官の講演会妨害があり=カケ。大阪には命を絶って抗議した人もいた=モリ)

④ 国民の幼児っぽさねらい

 お上のいうことはいつも正しい(記録がない。厳正な調査をする)。時間が経てば忘れる。

   ――「へそを出して寝ると雷さまに取られる」「ウソをつくと閻魔さまに舌を抜かれる」の類。したがってそれを言う方も幼児レベル

 以上を考えてみると、野党の追及も「半端」であるとつくずく感じてしまう。

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2018年6月20日 (水)

“幻の駅”復活

  京成線の上野-日暮里駅間にある“幻の駅”として人気漫画にも取り上げられた旧博物館動物園駅が19日、1997年3月の営業終了以来、21年ぶりに報道関係者に公開された。

日暮里を過ぎると上野の山をトンネルで入り、そのまま地下鉄になる。寂しい駅だが塾頭も一、二度利用したことがある。国立博物館近くで上野動物園入口も終点・京成上野駅より近い。

ホームの長さが4両分しかなく、6両編成以上になってしまった現在、それに合わせて駅を掘り進めるほどの利用価値がないという判断だったのだろう。

ホームには、近くにある東京芸術大の学生が描いたとされるペンギンの絵などもある。京成電鉄は東京芸大と協力して旧駅の改修や清掃を進め、秋にも一部を一般公開する方針だ。

地上の駅舎もしゃれた造りで、開業が1933 年、2004年に廃駅となった。廃駅は取り壊すのが普通だが、地下を含め今年4月に鉄道施設として初の「都選定歴史的建造物」に指定される。

 こういった幻の地下駅は、東京メトロ(「営団地下鉄」)銀座線の旧・新橋、上野、万世橋などに別用途で現存する。銀座線と丸の内線は、架線からではなく第三軌条から電気をとる前世紀の技術による電車だ。

 路上を走る都電も、荒川線しか残っていない。鉄道フアンを対称にこういった歴史遺跡的施設をめぐるバスツアーを企画しても成り立つのではないか。

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2018年6月19日 (火)

「森友」不起訴は覆せる

毎日新聞のコラム「記者の目」は、通常の取材記事には現れない記者会見場の雰囲気や記者の反応、読者の素朴な疑問を解き明かす解説などがあって、同紙の売り物の一つになっている。

今日(6/19)掲載されたテーマは“「森友」文書改ざん不起訴 真相への扉閉ざすな”で、中見出しに“「特捜部いらぬ」厳しい抗議も”“検審の市民感覚裁判実現の鍵”とある。

記事は、大阪地検特捜部が先月末、前国税庁長官の佐川氏や財務省職員ら計38人の公文書改ざんや、国有地8億円の値引きの真相が明らかにされないまま不起訴処分にした内情を、大阪社会部宮嶋梓帆(しほ)記者が書いた。

ネットでは、会員でないと全文を読めないので、やや長くなるが肝要な部分を紹介しておきたい。

(前略)大阪地検で5月31日に開かれた記者会見。1年以上にわたった捜査の総決算とも言える場だったが、山本真千子・特捜部長は硬い表情で切り出した。

 特捜部は38人全員の6容疑について、いずれも容疑不十分か容疑なしと結論付けた。そもそも不起訴とした事件について検察が説明するのは異例で、会見は1時間半に及んだ。詰めかけた約50人の記者の質問は、値引きの背景や、政治家への忖度(そんたく)の有無に集中したが、ほとんどの回答は「差し控える」だった。

(中略)一連の問題は国会を揺るがしたが、誰も刑事責任が問われないという事態に、同じ思いを持った人も多かっただろう。大阪地検には抗議の電話が相次ぎ、中には「この事件を立件しないなら特捜部はいらない」という厳しい意見もあったという。

後日、ある検察幹部は「どんな批判も受け止めるが、有罪の確証がなければ起訴はできない」と胸の内を明かした。

日本の刑事裁判の有罪率は99%で、裏を返せば、検察は確実に有罪が見込めなければ起訴しない。値引きには訴訟リスクを避ける目的があったことや、改ざん後も文書の趣旨が大きく変わっていないことなどから、当初から立件のハードルは高いとされていた。

一方、改ざんについて「民主主義国家とは思えない、許せない行為だ」と話す検察関係者もいた。検察が立件しなかったのは、現行法では罪に問えないと判断したというのが現実だと思う。

「実態は限りなく黒に近い灰色。公文書を書き換えてもいいというメッセージを送っているのではない」。ある検察幹部は、私にそう強調した。不起訴処分は決して免罪符とはならないし、約300カ所にもわたって公文書を改ざんした事実は消えない。

これからのマスコミによる事実露見、国会追求、国民の厳しい批判が検審や裁判所に影響を与え、有罪判決を勝ち取る可能性はある。司法まで「忖度」が働いたとは思いたくない。

 

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2018年6月18日 (月)

めでたい席は危ない

アフガンでは16、17日と連続してテロが発生した。16日は死者36人、17日は18人死亡と伝えられる。16日はタリバンと治安部隊が停戦を一緒に祝う会場が狙われた。

停戦を喜ばない分子の犯行と見られ、ISの名で犯行声明を出したというがウソだろう。アルカイーダの残党で、有名になったISをかたっただけと見る。そもそも両者は理念が全く違う。

南米の反米国家・ベネズエラの首都・カラカスで16日未明、ナイトクラブで催涙弾が爆発し17人が死亡した。店内では中学の卒業パーティーが行われていた。左派のチャベス前大統領に変わった新大統領が、石油収入減少の中での格差解消ができない不満か。

アメリカ・ニュージャーシー州では、17日に無差別銃乱射事件が起きた。観光客でにぎわっていたアートフェアが狙われ犯人は殺されたが、20人の負傷者をだした。

にぎわっているイベント、めでたい席など共通点があり、いずれもアメリカとの関連がある。米朝会談が警備万全を誇るシンガポールを選んだ理由わけがわかった。安倍首相にそんな機会がやってくるのかどうか。

安全第一は、このところ身についているようなので、心配無用にしよう。

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2018年6月17日 (日)

『朝日』がこけた日

平和主義者が兵士になって前線に立つ。敵を前にして、動くものがあればすかさず銃を撃つ。それが女であろうが子供であろうが、さきに撃たれたら殺されると思えば正当化される。それを嫌って現場を離れれば、戦場離脱で仲間の兵から撃ち殺されても文句は言えない。

満州事変の前、大手全国紙といえば「朝日」と「毎日」で「読売」は夕刊が無くその下の存在だった。電波は、NHKの前身である社団法人日本放送協会のラジオだけで民放はまだない。

購読料と広告料だけが収入源の新聞は、やや軍部よりの毎日をのぞき、主要紙は、軍部独走反対、軍事費拡大反対、平和優先で、朝日はその先鋒をきっていた。それがある日を境に一変したのが次の社説である。

【社説】

 満州事変勃発の前日、9月17日の大阪朝日新聞社説

吾人は若槻首相に望む。昨今、満蒙問題の論議、漸しく激化せる折柄、軍部の昂奮を善導して意外の脱線行為なからしめ、対支外交に清鮮味を加え、その基礎の上に国際正義に基づく近代的外交の伝導を築き上げんことを。……これが成し遂げられなければ、徒らに退嬰の結果による衰頽か、または猪突主義による顛落か、日本の運命は二者その一つを出でないであろうと確信する。

事変勃発後最初の社説(20日)

曲は彼(中国側)にあり、しかも数百名兵士の一団となっての所業なれば計画的破壊行為とせねばならぬ。断じて許すべきではない。……そもそも満鉄はわが半官半民の経営幹線なりといえども、世界交通路の幹線である。これが破壊を企つものは寸尺の敵といえども容赦はできない。わが守備隊が直ちにこれを排撃手段に出たことは、当然の緊急処置といわねばならぬ。

書き出しに使った比喩が当を得ていろとは言えないが、同社現地取材網の奉天通信局からの第一報は、ドーンという大音響とともにガラス戸が割れ、入浴中だったという同局長からのものである。

それにひきつづき、徹夜で約8時間のあいだに計118通の至急電報を打つという新記録を作った。戦闘が始まっているさなか、取材先は関東軍しかなくそれを追う展開になる。現地の謀略であることを軍中央は知っていたので、不拡大方針であったが、現地軍はとどまることを知らず戦場を拡げていった。

【重役会】

大阪朝日新聞の主張激変について歴史的史料がある。大阪憲兵隊が情報収集して中央に報告していたのである。

大阪朝日新聞は従来、社説その他において、国家財政、経済的立場より常に軍縮論を強調し、まことに編集局長・高橋操、論説委員の調査部長・藤田進一郎、経済部長・和田信夫らは、その色彩最も濃厚なるものとして注目していたが、日支衝突事件の局面展開し、国家重大時なる時に、軍縮に対する態度はしばらくおき、目下の時局に対する方針決定のために十月十二日午後一時より、同夜八時まで重役会議を開催した。

(中略)主なる各部長らが集合して協議の結果、大阪朝日新聞は今後の方針として、軍備の縮小を強調するは従来のごとくなるものの、国家重大時にあたり、日本国民として軍部を支持し、国論の統一をはかるのは当然の事にして、現在の軍部、軍事行動に対しては絶対批難、批判を下さず極力これを支持すべきことを決定。

もちろん「外務省のように軍部に追随するのか」などといった厳しい質問もあり、整理部など不満がおさまらなかったが部員の半数を入れ替えるなど、強硬手段もとった。なぜ論説陣を含む重役会でこのように決定をしたのか。

裏にあったのは、朝日・毎日の激しい部数競争である。戦争報道で読者数が爆発的に増える。各社は競って特派員数を増やし飛行機や電送機カメラなど器財を投入する。特ダネ、速報は号外として飛ぶように売れる。

今の号外は、駅頭などで無料で配っているが、昔は若者が腰に鈴をつけ「号外・号外」と叫びながら町中を走る。家の中にいてもそれを聞けば飛び出して買ったものだ。続報は夕刊、朝刊でということになるのだ。

重役会の結論を招いたのは『朝日新聞社史』によると、事変直後に右翼の総本山・黒竜会から幹部への面会要求があり、調査部長が面会したが、社の姿勢に恫喝、脅迫があったとされる。黒竜会はかつて村山社長を襲撃するという事件を起こしており、それを警戒したのだという見方もある。

当時から編集局長、主筆などを歴任していた緒方竹虎は、事変勃発について戦後、「今から考えてみて、中央の大新聞が一緒にはっきり話し合いが出来て、こういう軍の政治関与を抑えるということを満州事変の少し前から考えもし、手をつけておればできたのじゃないかということを考える」といっており、「右翼」というのはやや短絡的だ。

【鶏と卵】

戦争や軍部に批判的と思われる記事を書くと、黒竜会の影響下にある組織や軍部・在郷軍人会と言ったところから不買運動を仕掛けられる。現に読者が数万部も減り他社を利するといった事態もこの前後に発生している。

新聞にはオピニオンリーダーという大切な任務がある。その一方で読者の支持を受けないと成り立たない一面がある。鶏が先か卵が先かの矛盾にさらされ、卵を選んでしまったということになりそうだ。

このような事態が今、起きる可能性があるか。

ここまで、諸データを中心に、前坂俊之『太平洋戦争と新聞』講談社学術文庫、を参考にさせていただいた。その中には「大朝、大毎両社の時局に対する態度決定に関する件」(憲高秘第658号)などというものも含まれる。

戦後の焚書にも逃れよく残ったものだ。公文書秘匿、破棄、改ざんや「忖度」ばやりの現在より80数年前の方がはるかに進んでいる。これが残っているから歴史の検証が可能で多くの教訓を得ることが出来る。

「マスコミのこける日」が身近に迫っている。これを防ぐためには情報の受け手にも大きな責任があることを自覚しなければならない、というのが前掲書の読後感である。

 

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2018年6月15日 (金)

見なくなった昆虫

「蚊帳の外」、流行語としてランク・アップされるかどうか。我が家で蚊帳を吊らなくなって多分40年は経つだろう。多かったのは庭の手入れをしていると刺されるヒトスジシマダラカなどのヤブ蚊。屋内は蚊取り線香かスプレーなどでいなくなった。

蚊帳を知っている人は多分内閣支持率同様、だんだん減っていくだろう。ハエも同様、ハエトリ紙、ハエ叩きなどは民族資料館へ行かないと見れなくなる。家の中で健在なのはゴキブリや家グモ。ダニは見えないが小さなアリは多い。

だが、砂糖壺をめがけて行列を作るような姿は見えない。なぜだろう。シロアリ対策をしっかりやったのでそのせいか。童謡で歌われた赤とんぼや蛍、殿様蛙などが外で見られなくなったのはさびしい。小動物が少なくなった一因に農薬などが考えられるが、野良猫の激増は関係がないか。

ナメクジ。特に増えていないが、我が家のナメクジは新聞受けポストの中に進入する。新聞の所々に小さな穴があるので、インクのにおいが好きなのかもしれない。早く活字離れしてほしいのはナメクジ。

戦後、女生徒を悩ましたケジラミ。進駐軍が提供したDDTで見る見るうちに姿を消した。ネット、スマホ、AI、政治に限らず、世の中は激しく変化する。

 

 

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2018年6月14日 (木)

拉致問題前進は?

  北朝鮮はこれまで日本政府に対し、拉致被害者12人の消息について「8人死亡、4人は入国していない」と主張し、「拉致は解決済み」との立場を取ってきた。萩生田自民党幹事長代行は「金委員長から『解決済み』という反応がなかったことは大きな前進だ」と言い、日朝の直接交渉による問題解決に期待を示した。

 下げ止まりとは言え、内閣支持率維持は風前のともしび。このさきは拉致問題解決にすがるしかない。しかし、米朝と違って奇跡を呼ぶ要素は皆無と言いたい。これについて北朝鮮の対応ををいくつか予測してみよう。

 解決済みとする人数と内容を一切変えない。

 これまでの発表を訂正し、死亡日時、原因だけを変更する。

 米軍戦死者同様、死亡者の遺骨送還努力だけを続ける。

 死亡人数の変更や新たな調査で帰還可能者があれば公表する。

 日本の調査団を受け入れる。

 核放棄や経済援助の行方を見極め④の帰還を実現させる。

 国交回復をもって問題解消をはかる。

①、②では安倍首相による日朝交渉不成立。③と⑦は党内がなっとくしないだろう。④が即時にできれば前進だが、問題先送りになりかねない。

⑤は核放棄の査察と全く性格が別である。金政権を全く信用しないということにつながり、北朝鮮の受け入れられることではない。

結局、④⑥⑦の組み合わせがぎりぎりの妥協点ということになるが、中味はトランプ・金会談に遠く及ばない。8月に予定するといっても、小泉・金正日会談再現にはほど遠いのが現状で、実現すら危うい。

事前協議が進む客観情勢がなく、安倍首相は焦っていると思われるが、残念ながらやはり「置いてけぼり」の結果しかなさそうである。

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2018年6月13日 (水)

人民服と国民服

昨日の米朝首脳会談に金正恩は人民服で臨みました。それは「体制変更は絶対許さない」という意思表示かも知れません。

日本が戦争に突入する1年前の昭和15年11月2日、国民服令というのが公布されました。神戸の洋服屋が舞台の小説、妹尾河童『少年H』には同令についてこう書いてあります。

「我が国の服装文化はあまりにも欧米を模倣し、自主性に乏しいことを反省しなければならない。世界の興亡の歴史をたずねても、民族の発展には必ず建設的な服装文化がともなっている。日本も独自の新服装文化を確立すべきである。従ってこの度制定された国民服の生産に各位の技術を活かし協力されんことを望む」とあり、国民服を仕立てるための製図と完成図が添えてあった。

制定された「国民服」は、軍隊と同じカーキ色が多く、帽子は兵隊が被っている戦闘帽によく似た「国民帽」であった。国民服を着て帽子をかぶっているときは、一般人も軍隊式の挙手の礼をすることになっていた。

中学生は旧来の黒の制服、制帽でもよかったが、大抵先輩から譲り受けたり古着の活用で、外出時はゲートルを巻かなければならない決まりでした。ただし、新調する時はカーキ色の国民服しかなく、校内がまちまち。とても北朝鮮のようにはいきませんでした。

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2018年6月12日 (火)

米朝会談と年の差

シンガポール米朝首脳会談の当日だがまだ終わってない。戦争終結宣言が出せるかどうかということだが、戦争が始まったのが1950年、休戦会議は翌51年から始まり、53年に板門店で協定を結んだ。

金正恩の生年は伏されており、1984年頃とされる。そうすると生まれる30数年も前のできごとだ。対話の相手のトランプは45歳の頃。この二人は現在30数歳と72歳、親子ほども年が離れている。

文在寅、安倍晋三も5354年生まれだからその時代は知らない。そういった目で見ると、戦争当時からこれまでの時代の推移は、それほど大きな障害にならないと言うことか。

【追記】会談が終わって共同声明やトランプの記者会見があったが、これまで報じられているようなこと以上の具体的進展は出てこなかった。前宣伝が大きかっただけにやらない方がよかったという感じ。

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