2019年8月24日 (土)

フランスのアベさん

 積極的平和主義の元祖です。(中江兆民『三酔人経綸問答』岩波文庫、所載)

 洋学紳士がさらに言葉をつづけて言うには、「民主制は、戦争をやめ平和を盛んにして、地球上のすべてのすべての国を合わせて一つの家族とするための不可欠の条件です。すべての国が戦争をやめ、平和を盛んにするという説は、十八世紀に、フランス人アベ・ド・サン=ピエールがはじめて主張したが、当時この説に賛成するものものはきわめて少なく(中略)」その後ドイツ人カントもまたサン=ピエールの主張をうけつぎ、『永久平和論』と題する本をあらわして、戦争をやめ友好を盛んにすることの必要を論じました。




| | コメント (0)

2019年8月23日 (金)

弾道ミサイルは時代遅れ

 韓国政府は22日、日韓の軍事情報包括保護協定「GSOMIA」を破棄すると発表した。日韓関係はすでに戦争状態と極論する向きがあるが、あまり意味はない。南北が停戦協定から平和条約締結まで進めば、当然破棄される性格のものである。文在寅がそういったからといって騒ぎ立てるほどのことではない。

 安倍流の北敵視は、もう世界に通用しなくなっている。米ロが中短距離ミサイル開発に進みだしたという報道にも首をかしげる。「GSOMIA」も主に中短距離ミサイル発射情報や軌道・着弾に関したものである。

 中短距離ミサイルは、もう時代遅れになったのだ。だから北朝鮮は在庫処分と、代替機開発のために次々と打ち上げる。米ロの開発競争もAI兵器化なのだ。つまり、「GSOMIA」とは別の防衛情報が必要になった。

 だから核拡散禁止条約や、これまでの国連決議が不要になったわけではない。平和憲法があればこそ、日本は戦争の危機に関してさまざまな提案を世界に向けて発信しなければならない。

 そういった政治家が払底していることこそ、最大の危機なのだ。

 

| | コメント (0)

2019年8月22日 (木)

日韓国交回復時の韓国情勢

 日韓の軋轢に解決のめどが立たない。韓国人は一体何を考えているのだろう、という日本の雰囲気だが、徴用工問題などを清算して国交回復に至った1960年当時の韓国は、国の体をなしていないといってもいいほどの混乱状態があった。

 それ以後も韓国の政変には同じような不安定さが繰り返されるが、日韓の合意を国際法で説明しても簡単に受け入れがたい国民感情が存在するのだろう。

 下の年表は、文京洙『新・韓国現代史』を参照して作成した。日本の年号を便宜上併記している。

1910/明43 日韓併合
1919/大8  3・1独立運動:上海で大韓民国臨時政府樹立
1939/昭14 日本、国民徴用令公布施行
1943/昭18 カイロ宣言
1945/昭20 2月ヤルタ会談、8月ソ連参戦、日本敗戦、ソ連軍元山上陸、9月朝鮮人民共和国樹立宣布、米軍仁川に上陸
1947/昭22 9月米、国連に朝鮮独立問題提訴:ソ連、米ソ両軍の朝鮮からの撤退を提案、11月国連総会、南北朝鮮総選挙案可決
1948/昭23 8月大韓民国樹立宣布、韓米軍事安全暫定協定締結、9月朝鮮民主主義共和国樹立、11月済州島に戒厳令、焦土化作戦本格化
1949/昭24 中華人民共和国樹立
1950/昭25 6月朝鮮戦争勃発、9月国連軍(ソ連は安保理欠席:塾頭注)仁川に上陸、10月中国人民志願軍参戦
1953/昭28 板門店で休戦協定調印
1955/昭30 金日成「主体思想」を提起
1960/昭35 4月選挙不正糾弾など10万人群衆デモで李承晩大統領下野宣言、5月軍事クーデター
1961/昭36 韓国最高会議議長に朴正熙、11月金鍾泌(当時朴議長の黒幕的存在で情報局部長を務めていた・塾頭注)・大平メモで請求権問題合意を見た。
1962/昭37 朴正熙大統領に当選
1964/昭39 6月韓日会談反対デモ、首都圏に非常戒厳令(6.3事態)
1965/昭40 6月日韓条約調印(8月、野党がボイコットする中で国会批准:12月批准書交換、正式に国交回復)、同月武装軍人、高麗大に乱入ソウル地区に戒厳令

1979/昭54 10月国会、金泳三首相を除名、釜山・馬山で朴退陣デモ、朴大統領射殺事件、済州島を除く全国に非常戒厳令

| | コメント (2)

2019年8月21日 (水)

立・国、統一会派はじり貧へ

 数合わせはしないと公約した立民の枝野代表だが、ここへきて国民民主との統一会派に向けて蠢動をはじめた。原発ゼロや改憲への政策がいまひとつ不明確化するのならやめた方がいい。

 立憲が政権に遠いのは数のせいではない。安倍政権との対立点がぼやけていることである。一度政権の座にあったので、その時取った政策の反省が不十分なこともある。それがないから、「安倍政権の方がまし」という世論になってしまうのだ。

 その端的な例は、沖縄・辺野古埋め立て反対の民意が確定しているのに、これを放置していることだ。普天間基地移転先再検討、地位協定見直し、安保条約改定など、世界情勢の変化にあわせた新政策など、目新しさがなければ国民は投票しない。N新党や令和維新がいい教訓になっている。

 共産や社民などの左翼政党に埋没することをおそれているのだろうか。安保条約破棄や自衛隊違憲など、立ち位置の違いを明確にすることは可能だろう。外交でも政府に遅れず政策発表することなどいろいろあると思う。

 

| | コメント (2)

2019年8月20日 (火)

再軍備OKの時代

 初代宮内庁長官・田島道治が終戦後に昭和天皇とやり取りした記録、「拝謁記」の存在が明らかになり、その内容がつぎつぎに発表されている。

 昭和27年(1952)分に、憲法と再軍備に関して以下のような発言がある。

2月11日 「私は憲法改正二便乗して外のいろいろの事が出てくると思つて否定的二考へてたが今となつては他の改正ハ一切ふれずに軍備の点だけ公明正大に堂々と改正してやつた方がいゝ様二思ふ」 

3月11日 「警察も医者も病院もない世の中が理想的だが、病気がある以上警察も必要だし、乱暴者がある以上警察も必要だ。侵略者のない世の中二なれば武備ハ入らぬが侵略者が人間社会二ある以上軍隊ハ不得已必要だといふ事ハ残念ながら道理がある」

 以上について、「私ハどうしても反省といふ字を入れねばと思ふ」ということにこだわった昭和天皇の戦争責任感と矛盾し、意外に思う人がいるのではないか。

 これが世論を構成したとまではいかないが、ある程度常識だったのである。25年に勃発した朝鮮戦争が続く中で、9月に、サンフランシスコ講和会議が開催され、日本の占領が解かれることになった。27年の情勢を年表(『20世紀年表』・小学館、参照)から拾ってみよう。

3/6 吉田首相、参院予算委で「自衛のための戦力は合憲」と答弁、3/10野党の批判で訂正。
4/26 海上警備隊発足。
4/28 講和条約・日米安全保障条約(旧)発効。
8/4 吉田首相、保安庁幹部に軍隊再建の意思を表示。
10/15 警察予備隊は「保安隊」に。

 塾頭はこの年、所属した労働組合青年部で決議された「徴兵制復活反対」運動のため、折から兜町のストでピケを張る人ちーたちに署名を求めに行った記憶がある。なぜか「再軍備反対」でも「改憲反対」でもなかった。

 この傾向は、冷戦激化にしたがい、自然になくなったような感じがする。

 

| | コメント (2)

2019年8月19日 (月)

日韓より香港・台湾

 香港では18日、数十万人規模のデモがあった。警察当局の許可は得ていないが、衝突の事態はなかっようだ。それにしても、11週目となるデモの勢いは、一向に衰えを見せていない。

 中国が警察軍の訓練を開始するとか、台湾がアメリカからF16戦闘機66機の買取りを実現させるなど、1国2制度の根幹が揺らいでいるように見える。

 来年の1月には、台湾の総裁選があるが、台湾独立志向のある民進党の蔡英文総統にとって追い風になるという観測が強い。中国はその前、本年10月に「今年最大の政治イベント」と位置付ける建国70周年行事が予定されている。

 建国というのは、共産党・毛沢東主席が中華人民共和国成立宣言をした日で、蒋介石政権に対する内戦に勝利し、台湾に追いやったことを意味する。したがって、台湾の独立運動は、建国の根幹にふれる恐れがあり、戦力を行使してでもこれに対抗しなければならない。

 そうなると、中国と経済面の接点を模索するアメリカが、どこまでも支援するとは限らず、台湾の選挙民が、香港問題を蔡氏への追い風とみて支持するかどうか、その結果は、東アジアの平和にとって本年度最大のインパクトになる。

 日韓問題どころではない。

| | コメント (0)

2019年8月18日 (日)

芸能界ストに戦車

 「東宝争議」といっても、どれだけ通用するやら?。

 71年前の明日、といえば「歴史」に入る時期になったが、世田谷区砧の周辺には、警官2000人、米軍戦車7台、飛行機3機、騎兵1中隊が結集、来ないのは軍艦だけといわれる騒ぎが起きた。

 GHQの占領が始まって3年目、強い指導のもと反封建と自由化が急速に進み、労働組合の結成と強力化が、為政者ににとって手に余るようになってきて、前年の2・1ゼネストにはGHQから中止命令が出た。

 東宝争議は、映画演劇労働組合によるもので、有名芸術家グループも属していた。度重なる実力行使に手を焼いた会社側は撮影所閉鎖などで対抗したが、組合側は「撮影所籠城スト」で対抗した。

 上の騒ぎは、裁判所の撮影所明け渡し仮処分を実現させようとして、起こされたものである。はるか昔、明治時代の「芸者スト」も思い出した。今の芸能界では想像もつかないできごとである。

| | コメント (0)

2019年8月17日 (土)

21か条対華要求

 韓国は、日本が日韓併合に関して「帝国主義的侵略を行った」と主張する。当時、国内にそういった野望を持つ人がいなかったとは言わないが、日本は、むしろロシアやイギリスなどが朝鮮半島を帝国主義的侵略で支配することが、日本の安全を脅かすという立場を通してきた。

 これが日韓併合の遠因である。これまでも、カテゴリ「東アジア共同体」で書いてきたことなので詳述しないが、日本の「帝国主義的侵略」の意図が表面化し、世界から批判的に見られるようになったのは第一次大戦に日本が参加し、山東半島のドイツ権益を攻撃・駆逐したあと中国政府に突きつけた「21か条対華要求」に始まるといっていい。

 それは、大正4年(1915)1月18日、日置益公使が、袁世凱大統領に5号21か条より成る要求を直接手渡したものである。以下はその内容。

第一号 山東省のドイツ国権益の処分について日本がドイツと協定する一切の事項を中国は承認する。日本に芝栗(チーフ)または竜口と膠済鉄道とを連絡する鉄道の敷設権を認める。

第二号 旅順・大連租借期限と満鉄安奉線の期限をいずれも99か年ずつ延長する。吉長鉄道の管理経営を99か年日本に委任する。日本人に南満州および東部内蒙古における土地の賃借権または所有権・取得権・自由往来権・業務従事権・鉱山採掘権を認める。同地方で政治・経済・軍事の顧問および教官を要するときはまず日本に協議する。

第三号 漢冶萍煤鉄公司を日中両国の合弁とする。

第四号 中国沿岸の港湾と島とを他国に譲与または貸与しない。

第五号 中央政府の政治・財政・軍事の顧問として有力日本人をまねく。必要な地方の警察を日中合同とするか、または警察官庁に日本人をやとい入れる。日本から兵器の供給を受けるか、日中合弁の兵器廠を設立する。日本人に布教権を認める。南昌を中心に鉄道敷設権を認める。福建省の鉄道・鉱山・港湾にかんする外資導入には日本に先議する。

 まあ、ひどいものである。日本の敗戦でもこんな要求はなかった。第一次大戦で中国は中立を宣言していたのである。あまりひどすぎるので、第五号は欧米など対外的に隠されていた。

 中国としても受け入れられない内容だが、公使は最後通牒を突きつけ5月9日に受諾させた。学生などの抗議活動や日貨排斥運動が活発化したのは当然で、中国ではこの日を「国恥記念日」としており、日本が第2次大戦へ突き進んで、敗戦の愚をおかしてしまった「国恥記念日」でもある。

| | コメント (0)

2019年8月16日 (金)

二二・六、あわや陸海軍戦闘へ

2019年8月16日 6時13分

戦前、陸軍の青年将校らがクーデターを企てた「二・二六事件」について、事件の推移を分単位で記録した海軍の極秘文書が見つかりました。断固鎮圧を貫いたとされている昭和天皇が、海軍まで企てに同調することはないか、事件の拡大を懸念する発言をしていたことが記録されていて、専門家は当時の天皇と軍の関係を知るうえで極めて貴重だと指摘しています。

 上はNHKニュースが特ダネとして扱ったものだ。ただ、海軍が陸軍のクーデター計画に、実力をもって阻止する覚悟でいたことは、事件後当時海軍将校であった高松宮の『高松宮日記・第二巻』中央公論社(初版・1995/6/25)などで、早くから知られている。以下はその抜粋。

  昭和十一年二月二十七日

 (前略)甲府、高崎、佐倉の兵がき、第一師団と共に戒厳配備についてゐる。陸軍では反軍を占拠部隊と称して依然戒厳部隊の中に加へて給与もしてゐる。ラチあかず。海軍ではすでに反軍と称して、聯合艦隊を第二艦隊は大阪に、第一艦隊は東京湾に集合を命じて、昨日来横須賀より陸戦隊を四ヶ大隊をもってきて芝浦や海軍省に配して待機警備して、陸軍やらずば海軍の手にてもやると云ふ意気であつた。(以下略)

| | コメント (2)

2019年8月15日 (木)

「戦」雑感

 今日は終戦記念日。「反戦塾」だから新聞を見ていても「戦」の活字が目に付く。1面はトップの見出しから、下の書籍広告面まで「戦」であふれている。2面以下も同じ傾向。

 そしてスポーツ面に行ったら、ここにも!。

 「決勝戦」とか「2回戦」、「戦術」、「熱戦」……。「戦」は戈(ほこ)で争う意味だ。スポーツの祭典、オリンピックは、戈を捨て戦に代わって体力を競うことから始まった。

 スポーツの選手は戦手ではない。戦から選へ変えられるものは、できるだけそうして欲しいものだが。

| | コメント (2)

2019年8月14日 (水)

台風10号と210日

 台風10号が接近・上陸の危険が増し厳重な警戒が必要とマスコミは繰り返えす。8・9・10と矢つぎばやに発生、当初の天気図では大型で関東を直撃するように見えた。それが直近ではずーっと西にそれ、中部・近畿方面を向いている。

 10号という数字から、二百十日・二百二十日という言葉を思い出した。台風襲来の警戒日だが、最近はあまり聞かなくなった。そこで、今年はそれが何日にあたるのだろう、と気になった。

 立春を起算日として210日目、9月1日である。調べると、平年なら9月1日、閏年なら8月31日である。より長いスパンではこのパターンは崩れ、変化幅も広がり8月31日から9月2日まで変化する。

 農民は収穫の時期、漁民は出漁を決める目安にした。しかし、本当はその時期に台風が来る確率は少ないそうだ。やはり台風襲来の本場は今頃まで、つまり太陽暦で算出した方がよいのかもしれない。

| | コメント (2)

2019年8月13日 (火)

デモの光景雑感

 テレビでデモの光景が多くでる。韓国、香港が目立つが欧州、アメリカもある。気になったのはプラカードだ。韓国の徴用工関連の反日デモに写るのは、NOのOを日の丸に見立て赤く塗りつぶした全く同じ大きさ、同じデザインのプラカードだけしか見当たらなかった。

 日本でも、組織からの動員で同じデザインのプラカードが使われることはあるが、これほど揃っているのは見たことがない。欧米のケースでも似たような光景だ。

 香港は中国への犯人引き渡しをめぐって激しいデモが繰り返されているが、プラカードはお手製の粗末なものをたまに見かけるだけで、手ぶらの人が多い。塾頭もこれまで個人的に3,4回デモに参加したことがあるが手製のプラカードをボール紙に書いて持って行ったのは1回だけだった。

 「表現の自由展」というのに、韓国の慰安婦像を採用することについて、名古屋市長と愛知県知事の間で論争があったが、権力機関や組織が基本的人権・表現の自由などにかかわるときは、あらかじめその立場を明確にして、結果についても責任がとれるような準備が必要であろう。

| | コメント (2)

2019年8月12日 (月)

北朝鮮、「対話は米と」

 この表題は、毎日新聞(8/12・東京朝刊)国際面トップのものをそのまま使った。北朝鮮中央通信が報じた北朝鮮外務省米国担当局長の談話である。米韓軍事演習に触れたあと、「今後、対話へ向かうよい気流が生まれて、我々が対話に望むとしても、米朝間で行われるものであり、北南対話ではない」という見解を示した。

 局長級の発言だが北のことである。トップの意向に反するコメントとは思えない。今、朝鮮半島で最大の関心事は、停戦協定が実現したあとの主導権を握るのは北・金正雲、南・文在寅のどっちかということである。

 まず考えておかなければならないのは、北も南も38度線での区別を認めていないということである。これは民衆だけでなく、それぞれの政府の立場も同じである。相手の支配下を北韓、南朝鮮と呼んでいるように、半島を区別しないという大原則がある。

 北は、大統領・文在寅をすでに金正恩と同列に置いていない。それぞれ建国した歴史的経緯、南北戦争の発端と戦局、停戦ライン決定など、韓国大統領が独自に指導性を発揮する機会は、これまでもあまりなかった。

 北は、金日成が日本と戦って勝ったものでアメリカから与えられたものでないという自負がある。さらに、戦争に大きくかかわりを持つ米・中・ロ抜きで、停戦協定に持ち込むことは不可能と言っていいだろう。

 そのうちアメリカのトランプは、もっぱら金正恩だけを持ち上げて同盟国・韓国には共同訓練でお義理を果たす程度。国務長官は、厳しくなった日韓関係で、日本の肩を持つ方向を示し始めた。

 金在寅は焦っている。そこで、北と経済協力が可能になれば日本との経済格差がたちどころに解消する、などと言い出したが、北の労働力の安さ、貴金属資源入手などと北を見下し、自主性を否定するような発想は、誇り高い北が許すはずがない。

 金正恩は、そのような投資はアメリカから直接受けられるというだろう。韓国の風下に立つ必要は全くないのだ。

 文大統領が唯一、上に立てると思ったのが、日本叩きではないか。これに同調する国が増え、北はもとより、中国・ロシアなどと包囲網ができれば、金正恩と立ち向かえる民族の支持が得られると踏んだのだろう。

 日中間の関係改善もこれから進む機運だ。韓国内の支持も先が見えている。文さんは、まさに崖っぷちに立ってしまったように見えてくる。

 

| | コメント (0)

2019年8月10日 (土)

戦前の右翼メディア

 昨日のNHKニュースが伝えたことだが、大正末に発行され、戦前、最大の右派メディアとも呼ばれた日刊紙、「日本新聞」の紙面、およそ10年間分が元総理大臣、平沼騏一郎が設立した団体の、資料の収蔵庫に保管されていたことがわかった。

 この新聞はおよそ1万6000部発行され、決して多くはないが初期の数年分については発見できなかったものである。

 大正デモクラシーのあと、第1次大戦、朝鮮の3・1独立運動、中国の排日抗議運動、関東大震災などが続き、1924年(大正13)には、中国から孫文が来日、神戸で大アジア主義演説を行い、西洋に対するアジアの連帯を呼び掛けた。

 それが昭和初期になって、ロンドン海軍軍縮条約を問題視した右翼団体の統帥権干犯運動から、相次ぐ要人に向けたテロ事件、満州事変、連盟脱退など急速に軍国化への道をたどるのだ。

 同志の名簿には、後に総理大臣となる近衛文麿、右翼の源流と言われる頭山満などの実力者が名を連ねているが、頭山は、のちに清国を排し中華民国の基を作った孫文と親交があり、孫文亡命中の住居は総理となった犬養毅が提供していた。

 近衛は、日中事変が始まると「今後蒋介石を相手にせず」として戦線を拡大したり、太平洋戦争末期には、東条首相抹殺に動いたり、戦後、戦犯指名が明らかになると服毒自殺するなど、思想の遍歴が不明な点がすくなくない。

 名前のあがった戦前右翼は、現在のネットウヨ言論のようなワンパターン、単細胞的発想では成り立たない。力をつけてきた共産主義思想とどう立ち向かうか。それに必要な知見と教養が必要だ。

 そのあたり、発見された新聞が歴史資料としてどう役立つのか、今後の分析結果とその発表が待たれるところである。

| | コメント (0)

2019年8月 9日 (金)

飛鳥の将軍

 毎日新聞1面に、

 国内初の本格庭園と位置づけられる奈良県明日香村の飛鳥京跡苑池(7世紀)の発掘調査で、水が湧き出る場所(湧水点)を中心に石組みで人為的に水を流した施設の遺構が見つかったと県立橿原考古学研究所が8日、発表した。天皇のみそぎなど祭祀に深く関係したものとみられる。南北二つの池で構成される苑池は従来、主に鑑賞用と考えられてきたが、役割の再考につながる発見で、専門家も注目している。(以下略)

という記事が載った。

 飛鳥時代というと、奈良盆地の南端にあり、低い山に囲まれた平和な都てあったという印象がある。仏教文化の伝来、聖徳太子と17条憲法、各国使節来訪、そして遺跡として発掘される石像文化などで、甘樫丘から飛鳥を俯瞰するとまさにそんな気がする。

 ところがそれは逆。天皇謀議殺があると思うと専横を極めた蘇我氏を中大兄皇子が殺し、大化改新につなぐ。女帝・斉明天皇は蝦夷征伐を命じたり、百済救援のためと称して自ら九州までいって指揮をとり、最後は壬申の乱で皇位を巡る戦争で終わる。

 塾頭に『海と周辺国に向き合う日本人の歴史』という既著があるが、それは「飛鳥の将軍阿倍比羅夫」という一文が、第1回古代ロマン文学大賞研究部門優秀賞を受賞したため、それを組み込んで出版したものである。

 比羅夫は、飛鳥時代の豪族で、同時代、特に大化の改新以降の軍事活動を担ってきた。それが、周辺国と密接な関連を持つことを、手前みそながら指摘したのが、同書の内容である。     

| | コメント (0)

«ポピュリズムと白人至上主義