2009年7月 9日 (木)

矮小化される「尼崎脱線」

 05年4月25日、JR西日本福知山線で通勤電車が脱線、ビルに衝突して106人の死者を出した。このブログの前身「反戦老年委員会」をスタートさせて10日目のことである。報道される現場写真は、過去に見たことのない過激かつ悲惨な様相をあらわにしていた。

 今日の各紙は、神戸地裁が事故当時子会社の社長だった現社長が、過去安全対策を担当する同社役員をつとめており、ATS(自動列車停止装置)を現場に付けなかった過失があるとして、過失致死傷罪で在宅起訴したことを伝えている。

 この法的措置に、なにか違和感があるのことを各紙が伝えているが私にもそれがある。そこで、当時のエントリーを確認の意味でCDから取り出してみた。今見ると、記事というより1日1題の短い断片感想文ブログで、2日連続してとりあげている(楽だったなあ(^^))。

005-04-27
職人肌
 職人肌の電車運転士は、ブレーキのショックを感じさせず停止位置の標識どおりにピタッと止める。また腕の立つ職人は、決して同業仲間の悪口をいわなかった。トラックやハイヤーの運転手の職業意識も高かった。「土日は、素人の運転が多いので事故がこわい」といっていたのが、昨今の事故はプロが運転する大型車両ばかり目立つ。

 失われた十年で、こういった職人気質も薄れてしまった。技能労働者の自信とプライドを奪い去ろうとする怪物、それは郵政民営化の中にもすんでいそうな気がする。

2005-04-28
労働組合
 昨日に続きJR西日本の大事故関連。

 労組の委員長がテレビで発言した。「運転士の日勤教育、これは刑務所ですよ、拷問ですよ」。同僚に自殺者を出し裁判沙汰にまでなっているのに、よくぬけぬけといったものだ。

 どうして「乗客の安全、組合員の人権と命をまもるため、ストをかけてでも戦います」といえないのか。こういうセンスも職人気質同様、最近はとんとお目にかからない。インタビュアーの質問もなかった。電車だけでなく世間のバランス感覚も崩れている。

 自分でいうのも気がひけるが、今日の世情からみて的を射た指摘だったと思う。国鉄分割民営化→労組弱体化→小泉改革→競争社会=いわゆる新自由主義が事故原因の背景となっていたことは否めない。しかし、これで国の責任や会社の利益優先労務軽視対策は不問にされる。

 主要各紙は、読売をのぞいて社説を掲げているが、会社の体質を糾弾するだけで国の政策がこのような企業体質を産んだ責任まで言及した社説は一社もなかった。ただ、産経だけが「幹部の過失責任だけではなく、なぜあのような大惨事が起きたかについても真相を究明してほしい」ということを結語に持ってきている。

 この点、珍しく当ブログと同じである。ただし、おそらく当ブログとは別なことを指しているのであろう。

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2009年7月 8日 (水)

IEAEと日本

 国際原子力機関(IAEA)の次期事務局長に、在ウィーン国際機関日本政府代表部の天野之弥(ゆきや)大使が当選した。「日本は唯一の原子力爆弾による被災国である。よって、非核三原則の貫徹はもとより、原子力発電による事故や廃棄物処理などを考えると、日本は核問題から身をひくべきなのに原子力国際機関のトップに人を送るとはゆゆしい問題……」と考える人はさすがにいないだろう。

 しかしそれに心情的には近い人が多いのではないだろうか。たしかに、アメリカの核の傘に関連して、核兵器を積んだ軍艦の日本寄港や海峡の通過などに日米密約があることを政府がいまだに隠していたり、原発立地や廃棄物処理など核についての不安要素が山ほどある。

 その主因は、日本人の「核アレギー」に対する当局の「過剰反応」にあると思われる。俗にいうと「反対運動がうるさいので秘密にしておこう」という発想が、双方の不信感をさらに増幅し、ぎくしゃしゃくした関係を生んでしまったということであろう。

 その結果、核・ミサイル兵器に対する正しい知識なしに、北朝鮮の脅威だけが先行したり、逆に核の傘を信頼しすぎたりする。また、現存する原発や増加し続けるプルトニウムの合理的処理についての議論や対策が進まず、方向感覚を失ったままだ。実は、これが一番こわいことである。

 議論といっても誰にでもできることではない。専門的な知識を持つ科学者の協力がどうしても必要だ。それでなくても技術者不足、理科系教育の不振がいわれているおり、原子力関係に進む人材が払底するとなれば、明らかに国益を損ずることになる。

 その意味からも、天野氏がIEAE事務局長として世界で活躍するというのは、最近にない朗報だ。核軍縮も基本線で米・ロ大統領の一致があり、これからの進展が期待される。核拡散防止でもIEAEの存在価値が高まり、脚光を浴びることになるだろう。

 当塾は、以前から核に関する(兵器を含む)研究・議論を高めるよう主張していた。それが、たとえ自民党の前・中川外相の意見であろうと、久間元・防衛庁長官の発言であろうとその限りにおいては反対ではなかった。

 天野氏の就任で、国際機関への関心が高まり、専門分野を目指す若者の数がふえ、同時に国内での核論議がアレルギーの免疫を得ることになるかも知れない。その結果、日本の軍縮主導や安全なエネルギー確保に議論が向かうという、建設的な効果を生むことができればその意義ははかりしれないものがある。

 国際機関に身を置くということは、国家公務員ではなく国際公務員になるということである。世界の信頼を得るためには、特定の国の利益を代表してはならない。政府にしろ国民にしろ、天野氏の足を引っぱるようなことだけは避けなければならないだろう。

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2009年7月 7日 (火)

治安と経済

 戦後、想い出の一こまである。おそらく終戦の翌年、昭和21年か22年はじめの頃だろう。学校で全校生徒を講堂に集め、民主主義教育の一環として公開討論会が開かれた。議題は「治安維持と経済安定のどちらを優先するか」だったと思う。

 なぜこんなことを思い出したかというと、中国ウイグル自治区大騒乱のニュースである。その前、イランの大統領選挙をめぐる大規模デモ、さらに中米・ホンジュラス、さかのぼってタイなどさまざまな大衆行動や治安の悪化が続発しているが、起因はそれぞれ異なるものの、いずれも背景に経済格差の問題があることである。

 個別に論ずれば長くなるのでここでは省略するが、全体についてのべると、各国はそれぞれの立場から干渉したい理由があっても、基本的には自国民のことは自国民の間で解決すべきで、たとえ虐殺が起きようが、外交交渉を越える手出しは無用であり自制しなければならない。

 それは、アメリカがしばしばやってきたような、支持勢力とか国に対する武器援助についても同様である。それをしたために、アメリカがどれだけ恨みを買い信用を落とし、また自国民の命と財産を損なってきたかはかり知れないものがある。

 また中国については、嫌中陣営からチベット問題とウイグル問題を一緒にして考える傾向が出てくるだろうが、独立の要求や歴史的経緯、国際的な宗教の位置づけなどに根本的な違いがあることと、漢民族間でさえ存在する農村と都市の格差拡大など、国内問題として解決すべき複雑な問題を見逃して議論すべきではない。

 また、イランのラフサンジャニ現大統領、ホンジュラスで国外追放されたセラヤ大統領、同じく国に帰れないタイのタクシン元首相など、地方貧困層への予算ばらまきで選挙の獲得数を増やし、都市住民や中間層の反感を買ったことがデモや混乱を招いた。民主主義とはいっても、一種の衆愚政治が招いたもので、成り行きが注目される。

 さて最初の話に戻ろう。戦後の混乱期、治安は相対的に平穏な状態が保てたとはいうものの、ストの頻発やヤミ取引をめぐるトラブルなどで、一種の無政府状態のような不安があったことはまちがいない。また、先の見えないインフレ昂進は生活破綻直前にまで来ている。すなわち「泣く子も黙る」といわれる超法規的な権限を持つ「経済安定本部(安本=あんぽん)」が組織された頃である。

 そこで校内討論会となる。まずディベートで経済安定優先を受け持った生徒の発言。「それは経済が安定すれば治安もよくなる。経済優先に決まっている。その証拠に“経済安定本部”というのが組織された。安本は何のためにある!」 

 すかさずヤジあり。A「警察は何のためある!」(爆笑・拍手)。会が終わって生徒一同教室に戻る途中、狭い階段で人があふれて大混乱。もまれながら、B「警察は何のためある!」(爆笑)。AかBのいずれか私のようだ。政治を議論するのもヤジを飛ばすのも生まれてはじめての民主主義体験。何でも新鮮で楽しい時代だった。ただそれだけの話である。

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2009年7月 3日 (金)

にほん、にっぽん

 すこし旧聞になるが6月30日、民主党の岩國哲人衆議院議員が提出した「日本」の読み方についての質問書に、「どちらでもよろしい」という答弁書を閣議決定したという報道があった。その質問の一項に1970年の佐藤内閣時代に「にっぽん」に統一したということをあげたことに対し、「そのような閣議決定はない」むねの回答をしている。

 このテーマについて、過去2、3度このブログで取りあげたことがあり、「にっぽん」への統一が取りざたされるのは、1934年(昭和9)国際連盟を脱退して国威発揚に専念した頃、1970年、安保条約を定着させ万博ブームを演出した頃、そして最近では日韓ワールドカップサッカーの共催でニッポン・コールに湧いた年、などと書いている。

 その中で、政府が正式に関与したのは1970年、佐藤内閣の時だとばかり思っていたら、それを真正面から否定されたのだから驚いた。この事は、「7月14日」と日付まで入れて明記した有力出版社の年表があるほか、ネットで調べてもWikipediaなどに多くの記述がある。

 ということは、全く誤まった認識ではなかったはずなのだ。それにもかかわらず、マスコミは今回の回答書をただそのまま報道しただけで、そこらの矛盾を調査したあとが見えない。わたしの書いたブログが誤記だったら、訂正してお詫びしなければならない場面だ。

 たまたまこれについて、教科書を出版している東京書籍のHPを発見、その質疑応答欄で見ると、佐藤首相の意見があったものの、「にほん」もまちがいではないというようなあいまいな結論になって、結局正式な閣議決定に至らなかったらしい。

 マスコミは軽く考えたかも知れないが、やはり歴史の一こまになる事がらである。けっしてうやむやにすませてはならない。普段はなにひとつ評価することのない自公政権だが、今回の「どちらも正しい」の閣議決定は、日本文化をまもるうえで大賛成である。

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2009年7月 2日 (木)

ヒトラーの宣伝と戦争

 戦争はなぜ起こるのだろう、日本が戦争にまき込まれることはあるのか、それを防ぐにはどうしたらいいか。当塾のかかえる究極の課題である。かつて、マルクス主義の国は戦争を起こさないという信仰があった。しかしそれは、革命の輸出のような形でいとも簡単に破られた。

 また、民主主義が完全に行われれば戦争が消滅するようなことも言われた。冷戦が終結し、自由・民主主義の守護神を自認するアメリカの支配が続いた中で、根拠薄弱なイラク戦争が引き起こされ、アフガン・パキスタンでの戦闘はまだ続いている。

 残念ながら民主主義で戦争をふせぐことはできない。それを端的に示してくれたのがヒトラーである。彼はワイマール憲法のもと、ナチス党国会議員の大量当選を果たし、国民投票で「総統」に独占的権限を与えることに成功したのだ。

 その手法は、彼の戦争観、宣伝術として『わが闘争』第6章戦時宣伝に彼独特の露骨さをもって示されている。このシリーズは遂に8編まで続けてしまったが、これらを取り上げたのは、小泉・安倍首相の時代に特に顕著になったわが国の右傾化が、意識はされていないもののナチス・ドイツ時代に一脈共通する点があることである。これを以て本シリーズの結論としたい。

 ヒトラーと「B層」で取り上げたことと重複するが、宣伝についてこのように述べている。

 宣伝はすべて大衆的であるべきであり、その知的水準は、宣伝が目ざすべきものの中で最低級のものがわかる程度に調整すべきである。それゆえ獲得すべき大衆の人数が多くなればなるほど、純粋な知的高度はますます低くしなければならない。

(中略)宣伝の学術的な余計なものが少なければ少ないほど、そしてそれがもっぱら大衆の感情をいっそう考慮すればするほど、効果はますます的確になる。しかしこれが、宣伝の正しいか誤りであるかの最良の証左であり、若干の学者や美学青年を満足させたどうかではない。

 宣伝の技術はまさしく、それが大衆の感情的観念界をつかんで、心理的に正しい形式で大衆の注意をひき、さらにその心の中に入り込むことにある。これを、われわれの知ったかぶりが理解できないというのは、ただかれらの愚鈍さとうぬぼれの証拠である。

 日本の戦時宣伝では、表層的に日中戦争では、「膺懲」など中国人を蔑視するような言葉が使われたが太平洋戦争では「鬼畜米英」となる。ヒトラーは、ドイツやオーストリアで行われた相手を嘲笑するようなマンガ宣伝を排し、後者を支持する。

 イギリス人やアメリカ人の戦時宣伝は心理的に正しかった。かれらは自国の民族にドイツ人を野蛮人、匈奴だと思わせることによって、個々の兵士に前もって宣伝が、恐怖に対する準備をし、幻滅を起こさせないように努力していた。

 このことは、国家的に行われなくても、人殺しの恐怖心をなくし、相手の命をを虫けらのように扱う訓練が、今でも新兵教育として経常的におこなわれているという。

 さらに第一次大戦の戦争責任についてこうのべる。これは田母神論文など日本の歴史修正主義と全く軌を一にする。ヒトラーは意識しながらの主張だが、日本には無知のまま押し出そうとする指導者がいることである。

 宣伝は、それが相手に好都合であるかぎり、大衆に理論的正しさを教えるために、真理を客観的に探求すべきではなく、絶えず自己に役立つものでなければならない。

 戦争の責任について、ただドイツだけがこの破局に責任があるのではない、と論ずることは、この観点からすれば根本的に誤りであった。かえって実際には、ほんとうの経過はそうでなかったにしても、事実そうであったように、この責任をすべて敵に負わすことが正しかったであろう。

このシリーズのバックナンバーはカテゴリ「歴史」をさかのぼってごらんください。09年6月15日「ヒトラーと歴史教育」が第1回です。

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2009年7月 1日 (水)

ヒトラーと逃亡兵

 昨日、ヒトラーと「B層」という記事を正午過ぎに投稿した直後「ココログ」がアクセス不能となり、本日になっても全機能が回復するに至っていない。午前中は予告のメンテを実施しており、アクセスを試みられた方にはほぼ1日ご迷惑をおかけした。この記事とセットで見ていただけばありがたい。

 昨日の記事は、自民党の東国原宮崎県知事の閣僚起用などの動きを意識して書いたものだが、同党内の末期的混乱ぶりから、このまま麻生解散に出れば必ず「逃亡兵」(脱党・無所属出馬)が出るものと予想し、この題を急遽シリーズに加えることにした。

 実は、本題は小泉郵政選挙の際、前身の「反戦老年委員会」で取り上げ、民営化反対議員に刺客を向ける逃亡兵処分のやりかたと対比したものだが、今回の「逃亡兵」は相当おもむきを異にする。解散と同時に脱党宣言をすれば、注目を浴び自民党公認より当選の可能性は高まるだろう。

 ことに、小泉チルドレンなどで落選の色濃い候補者は、落ちてもともと、自民党は刺客の刺客を立てる余裕もなく、もし当選すればいずれ復党もあるだろうし、民主に高く売る手も残せる。政党交付金がこなくても、わたしならそうする。以下は例により『わが闘争』からの引用である。

 逃亡兵に、逃亡というものがまさしく自分が逃れようとしているものを、自分といっしょに運んでいるものだということを知らせることなのだ。前線では人は死ぬかも知れない、だが逃亡兵は死なねばならないのだと。

 逃亡しようとするものには、こういう峻厳な脅迫を試みることによってのみ、個人に対してだけでなく、また全体に対しても警告的な影響をねらうことができるのだと。(中略)あぶなっかしくなってきた徴募新兵は禁固や懲役ぐらいの脅迫ではだめで、ただ仮借なく死刑を適用することによってのみ、支えることができたのだ。

 小泉元総裁は逃亡兵に死刑執行人の刺客を送り込んだ。しかし、麻生総裁にはすでに軍の規律を守る統率力がない。それどころか、前線司令官である党役員の首をすげかえる下心もありそうだという報道もされている。

 この場合、第一次大戦の結果と同じで、ドイツ軍内部の統制が乱れ、ワイマール共和国革命に参画する兵士が続出する教訓に当てはまりそうだ。

 

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2009年6月30日 (火)

ヒトラーと「B層」

 「B層」という言葉は、小泉元首相が構造改革の名のもとに辣腕を振るった時期、ブレーンをつとめた竹中平蔵氏ご推薦の広告代理店が、宣伝戦略のターゲットとして使ったことで有名になった。その層は、IQの低い層として説明されており、まさに当時の「小泉劇場」を成功に導いた裏方であるかのように揶揄されていた。

 この「B層」の考え方は、90年近くも前にヒトラーがよりくわしく端的に指摘していたのだ。広告代理店ではなくヒトラーが権力を獲得し、運用した方針なのである。これが日本の政府、自民党が考えるメディア対策がこれとどれだけ違うか。やや長い引用となるが『わが闘争』の第10章から見ておきたい。

  -----------------------
(前略)新聞の読者はその際、一般に三つのグループに分類されうる。
 つまり、第一は読んだものを全部信じる人々、
 第二はもはや全く信じない人々、
 第三は読んだものを批判的に吟味し、その後で判定する頭脳をもつ人々、である。
 
 第一のグループは数字の上からは、けた外れの最大グループである。かれらは国民の大衆からなっており、したがって国民の中では精神的にもっとも単純な部分を表している。しかしかれらを職業でもって示すことはできず、せいぜい一般的な知能程度で示すことができるだけである。自分で考えるだけの素質もなければ、そのような教育も受けない人々は、みなこのグループに入る。

 そしてかれらの一部は無能から、一部は無知から白地に黒く印刷されて提供されたものを全部信じるのである。(中略)

 第二のグループは数ではまったく決定的に少なくなる。かれらの一部は、最初は第一のグループに入っていたが、長い間の苦い幻滅を経験した後いまや反対側に移って、ただ印刷されて目に映るものならばなんでも、全然信じなくなってしまった分子から構成されている。

 かれらは新聞という新聞を憎み、およそ読まないか、あるいは、その内容がかれらの意見からすれば、全く嘘と、事実でないことだけで構成されているにすぎないのだから、例外なしに、そうした内容に憤慨するかである。なにしろ真実に対してもつねに疑ってかかるだろうから、これらの人々はきわめて取り扱いがむずかしい。(中略)

 最後に第三のグループはけたはずれて最少のグループである。かれらは生まれつきの素質と、教育によって自分で考えることを教えられ、あらゆることにつていかれ自身の判断を形成することに努力し、また読んだものはすべてきわめて根本的にもう一度自己の吟味にかけて、その先の結論を引き出すような、精神的にじつに洗練された頭脳をもった人々からなり立つ。

 かれらはいつでも、自分の頭をたえず働かせながらでなければ新聞を読まないだろう。だから、編集者の立場は容易でない。ジャーナリストがこのような読者を愛するのには努力が必要なのである。(後略)
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 その上で、こう結論づける(太字:管理人)。

 大衆の投票用紙があらゆることに判決を下す今日では、決定的な価値はまったく最大多数グループにある。そしてこれこそ第一のグループ、つまり愚鈍な人々、あるいは軽信者の群衆なのである。

 そのうえでヒトラーは、

 これらの人々がより低劣な、より無知な、あるいはまったく悪意のある教育者の手に落ちるのを妨げることは、もっとも重要な国家、および国民の利益である。国家はしたがって彼らの教育を監視し、あらゆる不正を阻止する義務をもつ。

 といい、国家による言論監視、情報操作の必要性を強調するのである。

 

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2009年6月29日 (月)

小泉城下町に激震

 小泉元首相が次の衆院選に息子を立てようとしている地元・横須賀の市長選挙があった。

【確定得票数】
当68628 吉田 雄人=無新(33)
 64147 蒲谷 亮一=無現(64)
 23134 呉東 正彦=無新(49)

 吉田氏は市議出身で若さが売りもの。破れた蒲谷氏氏は、自民・民主・公明相乗りの支持を受け、小泉元首相も9年ぶりに街頭で応援演説に立った。普通なら小泉効果もあって圧倒的に現職有利になり落選はあり得ないはずだ。

 そんな常識を米軍基地の町・横須賀市民がくつがえした。この調子では、世襲地盤に安心しきって選挙運動もしていないといわれる小泉ジュニアー落選の可能性もでてきた。かといって、民主も安心できないが、圧倒的な人気で首相の座を射た時のブームはもうない。

 直近まで迫った解散総選挙では、山口4区のとくら候補も頑張っていただきたい。元総理といってもメッキがはげればこの通りである。この報道の扱いはまちまちで、NHKTVのニュースでは、小泉の“コ”もでてこなかった。しかし流れは変わった。

 靖国参拝を強行し、ネオコンブッシュにしっぽを振り、また、戦前を「美しい国」になぞらえて改憲しようとした権力者が退場することを、心から願っている国民はすくなくない。一時の人気だけで投票行動に走るのは、千葉県知事だけでもう最後にしてほしいものだ。
 

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2009年6月28日 (日)

三角縁神獣鏡

 古代、「大和朝廷」というものがあった。東北から九州まで普及した前方後円墳というおしゃもじ型の古墳は、「大和王朝系列」のシンボル・マークだ。墓の形だけなら単なる流行といえるかも知れないが、祭祀に使う器台や石棺の構造など、こまかい点も似ているので、統一マニュアルがあったに違いない。

 日本は、多分1800年近くこの大和朝廷が続いている。ただ、男子直系万世一系などはウソだ。続いたのは、祭祀→マツリゴト→政治のマニュアルをバトンタッチすることだけであった。それも前方後円墳のように廃止するものもあれば、当然あとから加わるものもある。

 バトンの中で重要なものに三種の神器(剣・鏡・玉)がある。これも力ずくで持ちだし(源平合戦)行方不明になったりして、確実に伝世しているとは言いがたい。今月はじめに「古墳・卑弥呼など」と題する記事を書いたが、今回はその続きで「三角縁神獣鏡」をとりある。

 この鏡も、最初の大型前方後円墳である「箸墓」が、魏志倭人伝にある卑弥呼の墓ではないかということが話題になるのと同じで、魏志倭人伝にある卑弥呼が魏の国から送られた銅鏡100面かどうかで関心を集めている。

 この鏡の特徴は、鏡の縁どりが三角の山型で裏側のデザインに神仙と霊獣が描かれており、中に漢字で卑弥呼が使いを派遣した頃の魏の年号や、制作者の名前が入っているものが含まれていることである。そこで、魏から贈られたものとする意見が、戦後考古学の大宗ともいえる小林行雄京大教授などにより定説化していた。

2009_06280002  ところが、この鏡が続々と発掘され、あとで日本でまねして作ったことがはっきりしている120面あまりを含めて500面以上にもなってしまった。その上、中国や朝鮮からはこのデザインが1面も発見されないことと、鏡作りそのものの技術が日本になかったわけではないので、全部日本製ではないか、という意見がこのところ有力になっていた。

 しかし、魏の年号が入ったものを独創で作るわけがなく、お手本は必ず何枚かあったはずだ。それはやはり卑弥呼がもらったものに違いないと思っていた。そこに、中国の三国時代に作られたことがはっきりしている鏡と国産の鏡の鉛の同位体、つまり銅鏡のDNA検査のような比較調査で三角縁神獣鏡のサンプルの何面かは中国鏡に一致するという結果が出てきた。

 三角縁神獣鏡は、全国の古墳から発見されるが、大和朝廷から分与されたものであろうとされている。そして、大量に発見されるのは畿内で、それまで鏡の本場だった九州から大和に移っている。古墳時代の開幕を4世紀頃とみて、卑弥呼の時代と三角縁神獣鏡分与に空白期間があるとしていた異論も、箸墓の設営時期が半世紀も繰り上がったことにより矛盾が解消してきた。

 どうやら、倭国の大乱を邪馬台国の女王・卑弥呼の擁立で解消させたというのは、天皇家の先祖のことらしく、箸墓の主である可能性に近づいてきたとみている。(写真:小林幸雄『日本考古学概説』、初版は昭和26年)

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2009年6月27日 (土)

ヒトラーとユダヤ人

  なんとなく踏み込んでしまったヒトラー・シリーズであるが、これまで「ヒトラーと歴史教育」「ヒトラーと民主主義」「ヒトラーと優生学」「ヒトラーの戦争礼賛」の4編(カテゴリ=歴史)になってしまった。その内容は主にヒトラーの自著『わが闘争』に準拠しているが、ここまでは、彼が志願してドイツ軍兵士になる前のこととして記述している。

 軍に身を投ずる動機について、前回の続きになるが彼自身、生まれながらの「好戦嗜好」をまず上げておかなくてはならない。

 一体、なぜ百年前に生まれていなかったのだろう。解放戦争(対ナポレオン戦争)のころであったら、男は「商売」しなくとも実際に何かしら価値があったのではないか。
 そこでわたしのあまりにも遅く始まったこの世の旅――わたしにはそう思えた――について、しばしば立腹を感じ、そしてわたしに近づいている「安寧と秩序」の時代を運命の不当な下劣さと見なしていた。私は若い頃からすでに、まさしく「平和主義者」ではなく、この方向へどんなに教育しようと試みてもムダだった。

 その精神分析に立ち入ることはできないが、彼はその頃無名画家として糊口をしのいでおり、なかば失業の状態が長く続いていたと思われる。それが、赤木智則氏の『希望は戦争』につながってしまうのは、筋違いとはいえ振り払うことができないものがある。またそこに起きた戦争に対し、日露戦争への支持をまっ先に掲げている。

 日露戦争は、すでにわたしが大きくなっていたし、また注意深く見たのである。わたしはそこではほとんど種々の国家的理由から一方にくみし、当時われわれの意見を決定するさいには、ただちに日本人の側に立ったのである。ロシア人の敗北はまた、オーストラリアのスラブ主義の敗北と考えていたからだ。

 このように、スラブ人=ロシアという彼の人種差別、排外主義が露骨にでているが、彼が生まれ育ったオーストラリア内部の人種間確執をそのまま反映したものである。しかしここでは、ユダヤという言葉は一切出てこない。ユダヤは排除すべき相手だとしても、まだ戦うべき相手として強く意識されているわけではなかった。

 彼にとって敗戦は最大の屈辱だった。しかも除隊して戻ったミユンヘンを支配するのは、王政をくつがえし、バイエルン共和国を作ったユダヤ人社会民主主義者クールト・アイスナーであり、フランスとの休戦条約に署名し、ベルサイユ条約の受諾をうながしたM・エルツベルガーもまたユダヤ人であった。

 さらに意識していたかどうかはわからないが、戦勝国として講和を取り仕切ったアメリカ大統領・ウイルソンまでユダヤ人である。ドイツ国民が高額な賠償金を背負って塗炭の苦しみを味わうことになっるこの時期、ヒトラーは得意の弁舌をもってユダヤ人を糾弾する政党政治家に転身するのである。

 

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